のは其畠である。流石《さすが》に用心深い父は人目につかない村はづれを択《えら》んだので、根津の西町から八町程離れて、とある小高い丘の裾《すそ》のところに住んだ。
 長野県小県郡根津村大字姫子沢――丑松が第二の故郷とは、其五十戸ばかりの小部落を言ふのである。

       (四)

 父の死去した場処は、斯《こ》の根津村の家ではなくて、西乃入《にしのいり》牧場の番小屋の方であつた。叔父は丑松の帰村を待受けて、一緒に牧場へ出掛ける心算《つもり》であつたので、兎も角も丑松を炉辺《ろばた》に座《す》ゑ、旅の疲労《つかれ》を休めさせ、例の無慾な、心の好ささうな声で、亡くなつた人の物語を始めた。炉の火は盛《さかん》に燃えた。叔母も啜《すゝ》り上げ乍《なが》ら耳を傾けた。聞いて見ると、父の死去は、老の為でもなく、病の為でも無かつた。まあ、言はゞ、職業の為に突然な最後を遂げたのであつた。一体、父が家畜を愛する心は天性に近かつたので、随つて牧夫としての経験も深く、人にも頼まれ、牧場の持主にも信ぜられた位。牛の性質なぞはなか/\克《よ》く暗記して居たもの。よもや彼《あ》の老練な人が其道に手ぬかりなどの有らうとは思はれない。そこがそれ人の一生の測りがたさで、不図《ふと》ある種牛を預つた為に、意外な出来事を引起したのであつた。種牛といふのは性質《たち》が悪かつた。尤《もつと》も、多くの牝牛《めうし》の群の中へ、一頭の牡牛《をうし》を放つのであるから、普通の温順《おとな》しい種牛ですら荒くなる。時としては性質が激変する。まして始めから気象の荒い雑種と来たから堪《たま》らない。広濶《ひろ/″\》とした牧場の自由と、誘ふやうな牝牛の鳴声とは、其種牛を狂ふばかりにさせた。終《しまひ》には家養の習慣も忘れ、荒々しい野獣の本性《ほんしやう》に帰つて、行衛《ゆくへ》が知れなくなつて了《しま》つたのである。三日|経《た》つても来ない。四日経つても帰らない。さあ、父は其を心配して、毎日水草の中を捜《さが》して歩いて、ある時は深い沢を分けて日の暮れる迄も尋ねて見たり、ある時は山から山を猟《あさ》つて高い声で呼んで見たりしたが、何処にも影は見えなかつた。昨日の朝、父はまた捜しに出た。いつも遠く行く時には、必ず昼飯《ひる》を用意して、例の『山猫』(鎌《かま》、鉈《なた》、鋸《のこぎり》などの入物)に入れて背負《
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