めて壮健な方で、激烈《はげ》しい気候に遭遇《であ》つても風邪一つ引かず、巌畳《がんでふ》な体躯《からだ》は反《かへ》つて壮夫《わかもの》を凌《しの》ぐ程の隠居であつた。牧夫の生涯《しやうがい》といへばいかにも面白さうに聞えるが、其実普通の人に堪へられる職業では無いのであつて、就中《わけても》西乃入の牧場の牛飼などと来ては、『彼《あ》の隠居だから勤まる』と人にも言はれる程。牛の性質を克《よ》く暗記して居るといふ丈では、所詮《しよせん》あの烏帽子《ゑぼし》ヶ|嶽《だけ》の深い谿谷《たにあひ》に長く住むことは出来ない。気候には堪へられても、寂寥《さびしさ》には堪へられない。温暖《あたゝか》い日の下に産れて忍耐の力に乏しい南国の人なぞは、到底|斯《か》ういふ山の上の牧夫に適しないのである。そこはそれ、北部の信州人、殊に丑松の父は素朴な、勤勉な、剛健な気象で、労苦を労苦とも思はない上に、別に人の知らない隠遁の理由をも持つて居た。思慮の深い父は丑松に一生の戒を教へたばかりで無く、自分も亦た成るべく人目につかないやうに、と斯う用心して、子の出世を祈るより外にもう希望《のぞみ》もなければ慰藉《なぐさめ》もないのであつた。丑松のため――其を思ふ親の情からして、人里遠い山の奥に浮世を離れ、朝夕炭焼の煙りを眺め、牛の群を相手に寂しい月日を送つて来たので。月々丑松から送る金の中から好《すき》な地酒を買ふといふことが、何よりの斯《この》牧夫のたのしみ。労苦も寂寥《さびしさ》も其の為に忘れると言つて居た。斯ういふ阿爺《おやぢ》が――まあ、鋼鉄のやうに強いとも言ひたい阿爺が、病気の前触《まへぶれ》も無くて、突然死去したと言つてよこしたとは。
 電報は簡短で亡くなつた事情も解らなかつた。それに、父が牧場の番小屋に上るのは、春雪の溶け初める頃で、また谷々が白く降り埋《うづ》められる頃になると、根津村の家へ下りて来る毎年《まいとし》の習慣である。もうそろ/\冬籠りの時節。考へて見れば、亡くなつた場処は、西乃入か、根津か、其すら斯電報では解らない。
 しかし、其時になつて、丑松は昨夜《ゆうべ》の出来事を思出した。あの父の呼声を思出した。あの呼声が次第に遠く細くなつて、別離《わかれ》を告げるやうに聞えたことを思出した。
 斯の電報を銀之助に見せた時は、流石《さすが》の友達も意外なといふ感想《かんじ》に打た
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