藤村詩抄
島崎藤村自選
島崎藤村
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)心《こゝろ》無《な》き
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)風|勁《つよ》く
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)まだ/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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自序
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若菜集、一葉舟、夏草、落梅集の四卷
をまとめて合本の詩集をつくりし時に
[#ここで字下げ終わり]
遂に、新しき詩歌の時は來りぬ。
そはうつくしき曙のごとくなりき。あるものは古の預言者の如く叫び、あるものは西の詩人のごとくに呼ばゝり、いづれも明光と新聲と空想とに醉へるがごとくなりき。
うらわかき想像は長き眠りより覺めて、民俗の言葉を飾れり。
傳説はふたゝびよみがへりぬ。自然はふたゝび新しき色を帶びぬ。
明光はまのあたりなる生と死とを照せり、過去の壯大と衰頽とを照せり。
新しきうたびとの群の多くは、たゞ穆實なる青年なりき。その藝術は幼稚なりき、不完全なりき、されどまた僞りも飾りもなかりき。青春のいのちはかれらの口脣にあふれ、感激の涙はかれらの頬をつたひしなり。こゝろみに思へ、清新横溢なる思潮は幾多の青年をして殆ど寢食を忘れしめたるを。また思へ、近代の悲哀と煩悶とは幾多の青年をして狂せしめたるを。われも拙き身を忘れて、この新しきうたびとの聲に和しぬ。
詩歌は靜かなるところにて思ひ起したる感動なりとかや。げにわが歌ぞおぞき苦鬪の告白なる。
なげきと、わづらひとは、わが歌に殘りぬ。思へば、言ふぞよき。ためらはずして言ふぞよき。いさゝかなる活動に勵まされてわれも身と心とを救ひしなり。
誰か舊き生涯に安んぜむとするものぞ。おのがじゝ新しきを開かんと思へるぞ、若き人々のつとめなる。生命は力なり。力は聲なり。聲は言葉なり。新しき言葉はすなはち新しき生涯なり。
われもこの新しきに入らんことを願ひて、多くの寂しく暗き月日を過しぬ。
藝術はわが願ひなり。されどわれは藝術を輕く見たりき。むしろわれは藝術を第二の人生と見たりき。また第二の自然とも見たりき。
あゝ詩歌はわれにとりて自ら責むるの鞭にてありき。わが若き胸は溢れて、花も香もなき根無草四つの卷とはなれり。われは今、青春の記念として、かゝるおもひでの歌ぐさかきあつめ、友とする人々のまへに捧げむとはするなり。
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明治卅七年の夏[#地から3字上げ]藤村
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抄本を出すにつきて
二十五六といふ青年時代が二度と自分の生涯には來ないやうに、最初の詩集も自分には二册とは無いものだ。その意味から、曾て私はこれらの詩を作つた當時のことを原本の詩集のはじに書きつけて置いたこともある。
明治二十九年の秋、私は仙臺へ行つた。あの東北の古い靜かな都會で私は一年ばかりを送つた。私の生涯はそこへ行つて初めて夜が明けたやうな氣がした。私は仙臺名影町の宿舍で書いた詩稿を毎月東京へ送つて、その以前から友人同志で出してゐた雜誌『文學界』に載せた。それを一册に集めて、『若菜集』として公にしたのが、私の最初の詩集だ。私の文學生涯に取つての處女作とも言ふべきものであつた。その頃の詩の世界は非常に狹い不自由なもので、自分等の思ふやうな詩はまだ/\遠い先の方に待つてゐるやうな氣がしたが、兎も角も先蹤を離れよう、詩といふものをもつと/\自分等の心に近づけようと試みた。默し勝ちな私の口脣はほどけて來た。
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心の宿の宮城野よ
亂れて熱き吾身には
日影も薄く草枯れて
荒れたる野こそうれしけれ
ひとりさみしき吾耳は
吹く北風を琴と聽き
悲しみ深き吾眼には
色無き石も花と見き
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(草枕)
[#ここで字下げ終わり]
私が一生の曙はこんな風にして開けて來た。
明治三十一年の春には私は東京の方に歸つてゐて、第二の集を出した。それは『一葉舟』とした詩文集で、その中には『若菜集』以後仙臺で書いた『鷲の歌』の外に、東京に歸つてからの詩數篇をも納めたものである。同じ年の夏、郷里の木曾へ旅して、福島にある姉の家で『夏草』を書いた。私の第三の詩集だ。
私が信州小諸へ行つてあの山の上の町に落ちつくやうになつたのは、翌三十二年のことであつた。そこで私はまた詩作をはじめて、第四の詩集をつくつた。『落梅集』はその全部が千曲川の旅情ともいふべきものである。
私の青春の形見ともいふべき四卷の詩集は、明治二十九年より三十三年へかけ前後五年に亙つて、それ/″\別册として公にしたものであつたが、三十七年の夏に『一葉舟』や『落梅集』から散文の部を省いて、合本一卷とした。私の詩集として世に流布してゐるものがそれである。
さういふ私は今、岩波書店の主人から普及叢書の一册として、この詩集の抄本をつくることを求められた。思ふに、原本の詩集を縮め、僅かの省略を行ひ、たゞ形を變へるといふだけのことならば、抄本をつくることもさう骨は折れまい。しかしそれでは意味はすくない。長い月日の間には原本の詩集も幾度かの編み直しと改刷とを經たものであるが、更に私は編み方を變へて、此の抄本をつくることにした。尤も、詩集としての内容にさう變りのあらう筈もないが、編み方に意を用ひたなら、抄本は抄本として意味あるものとならうかと思ふ。
これを編むにつけても、もつと私は嚴しく選むべきであつたかとも考へる。今になつて見ると『若菜集』の中に、仙臺時代以前に書いた二三の古い詩を見つける。『君と遊ばむ』『流星』なぞがそれで、さういふものは省いたらとも考へたが、自分の出發の支度はそんなところにあつたことを思ひ、未熟なものも一概にそれを省き去る氣になれなかつた。原本の詩集のうち、一番多くを省いたのは『夏草』の中からで、『若菜集』や『落梅集』からも長短數篇を省いた。題目等もこの抄本にはいくらか改めて置いたものもある。すべてはこれらの詩を書いた當時の自分の心持に近づけることを主にした。
思へば私が『若菜集』を出したのは、今から三十一年の前にもあたる。この古い落葉のやうな詩が今日まで讀まれて來たといふことすら、私には意外である。頭髮既に白い私がこれを編むのは、自分の青年時代を編むやうなものである。この抄本をつくるにつけても、今昔の感が深い。
[#ここから3字下げ]
昭和二年五月
[#ここで字下げ終わり]
[#地から7字上げ]麻布飯倉にて
[#地から3字上げ]著者
[#改ページ]
藤村詩抄目次
自序
抄本を出すにつきて
――――――――
若菜集より
序のうた
草枕
二つの聲
松島瑞巖寺に遊びて
春
一 たれかおもはむ
二 あけぼの
三 春は來ぬ
四 眠れる春よ
五 うてや鼓
明星
潮音
おえふ
おきぬ
おさよ
おくめ
おつた
おきく
醉歌
哀歌
秋思
初戀
狐のわざ
髮を洗へば
君がこゝろは
傘のうち
秋に隱れて
知るや君
秋風の歌
雲のゆくへ
母を葬るのうた
合唱
一 暗香
二 蓮花舟
三 葡萄の樹のかげ
四 高樓
ゆふぐれしづかに
月夜
強敵
別離
望郷
かもめ
流星
君と遊ばむ
晝の夢
四つの袖
※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]
林の歌
一葉舟より
鷲の歌
白磁花瓶賦
銀河
きりぎりす
春やいづこに
夏草より
子兎のうた
晩春の別離
うぐひす
かりがね
野路の梅
門田にいでて
寶はあはれ碎けけり
新潮
落梅集より
常盤樹
寂寥
千曲川旅情の歌
一
二
鼠をあはれむ
勞働雜詠
一 朝
二 晝
三 暮
爐邊雜興
黄昏
枝うちかはす梅と梅
めぐり逢ふ君やいくたび
あゝさなり君のごとくに
思より思をたどり
吾戀は河邊に生ひて
吾胸の底のこゝには
君こそは遠音に響く
こゝろをつなぐしろかねの
罪なれば物のあはれを
風よ靜かにかの岸へ
椰子の實
浦島
舟路
鳥なき里
藪入
惡夢
響りん/\音りん/\
翼なければ
罪人と名にも呼ばれむ
胡蝶の夢
落葉松の樹
ふと目はさめぬ
縫ひかへせ
[#改丁]
若菜集より
明治二十九年――同三十年
(仙臺にて)
[#改丁]
序のうた
心《こゝろ》無《な》き歌のしらべは
一房《ひとふさ》の葡萄のごとし
なさけある手にも摘《つ》まれて
あたゝかき酒となるらむ
葡萄棚ふかくかゝれる
紫《むらさき》のそれにあらねど
こゝろある人のなさけに
蔭に置く房の三つ四つ
そは歌の若きゆゑなり
味ひも色も淺くて
おほかたは噛《か》みて捨つべき
うたゝ寢の夢のそらごと
[#改ページ]
草枕
夕波くらく啼く千鳥
われは千鳥にあらねども
心の羽《はね》をうちふりて
さみしきかたに飛べるかな
若き心の一筋に
なぐさめもなくなげきわび
胸の氷のむすぼれて
とけて涙となりにけり
蘆葉《あしは》を洗ふ白波の
流れて巖《いは》を出づるごと
思ひあまりて草枕
まくらのかずの今いくつ
かなしいかなや人の身の
なきなぐさめを尋ね侘び
道なき森に分け入りて
などなき道をもとむらむ
われもそれかやうれひかや
野末に山に谷蔭《たにかげ》に
見るよしもなき朝夕の
光もなくて秋暮れぬ
想《おもひ》も薄く身も暗く
殘れる秋の花を見て
行くへもしらず流れ行く
水に涙の落つるかな
身を朝雲《あさぐも》にたとふれば
ゆふべの雲の雨となり
身を夕雨《ゆふあめ》にたとふれば
あしたの雨の風となる
されば落葉《おちば》と身をなして
風に吹かれて飄《ひるがへ》り
朝《あさ》の黄雲《きぐも》にともなはれ
夜《よる》白河を越えてけり
道なき今の身なればか
われは道なき野を慕ひ
思ひ亂れてみちのくの
宮城野にまで迷ひきぬ
心の宿《やど》の宮城野よ
亂れて熱き吾身には
日影も薄く草枯れて
荒れたる野こそうれしけれ
ひとりさみしき吾耳は
吹く北風を琴と聽き
悲み深き吾目には
色彩《いろ》なき石も花と見き
あゝ孤獨《ひとりみ》の悲痛《かなしさ》を
味ひ知れる人ならで
誰にかたらむ冬の日の
かくもわびしき野のけしき
都のかたをながむれば
空《そら》冬雲《ふゆぐも》に覆はれて
身にふりかゝる玉霰《たまあられ》
袖の氷と閉ぢあへり
みぞれまじりの風|勁《つよ》く
小川の水の薄氷
氷のしたに音《おと》するは
流れて海に行く水か
啼いて羽風《はかぜ》もたのもしく
雲に隱るゝかさゝぎよ
光もうすき寒空《さむぞら》の
汝《なれ》も荒れたる野にむせぶ
涙も凍る冬の日の
光もなくて暮れ行けば
人めも草も枯れはてゝ
ひとりさまよふ吾身かな
かなしや醉うて行く人の
踏めばくづるゝ霜柱
なにを醉ひ泣く忍び音《ね》に
聲もあはれのその歌は
うれしや物の音《ね》を彈《ひ》きて
野末をかよふ人の子よ
聲調《しらべ》ひく手も凍りはて
なに門《かど》づけの身の果ぞ
やさしや年もうら若く
まだ初戀のまじりなく
手に手をとりて行く人よ
なにを隱るゝその姿
野のさみしさに堪へかねて
霜と霜との枯草の
道なき道をふみわけて
きたれば寒し冬の海
朝は海邊《うみべ》の石の上《へ》に
こしうちかけてふるさとの
都のかたを望めども
おとなふものは濤《なみ》ばかり
暮はさみしき荒磯《あらいそ》の
潮《うしほ》を染めし砂に伏し
日の入るかたをながむれど
湧きくるものは涙のみ
さみしいかなや荒波の
岩に碎けて散れるとき
かなしいかなや冬の日の
潮《うしほ》とともに歸ると
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