觀る
あな寂寥《さびしさ》や吾胸の
小休《をやみ》もなきを思ひみば
あはれの外のあはれさも
智慧のさゝやくわざぞ是
かの深草の露の朝
かの象潟の雨の夕
またはカナンの野邊の春
またはデボンの岸の秋
世をわびびとの寢覺には
あはれ鶉の聲となり
うき旅人の宿りには
ほのかに合歡《ねむ》の花となり
羊を友のわらべには
日となり星の數となり
夢に添ひ寢の農夫には
はつかねずみとあらはれて
あるは形にあるは音《ね》に
色ににほひにかはるこそ
いつはり薄き寂寥《さびしさ》よ
いづれいましのわざならめ
さなりおもては冷やかに
いとつれなくも見ゆるより
深き心はあだし世の
人に知られぬ寂寥《さびしさ》よ
むかしいましが雪山の
佛の夢に見えしとき
かりに姿は花も葉も
根もかぎりなき藥王樹
むかしいましが※[#「さんずい+元」、第3水準1−86−54]湘の
水のほとりにあらはれて
楚に捨てられしあてびとの
熱き涙をぬぐふとき
かりにいましは長沙羅の
鄂渚《がくしょ》の岸に生ひいでて
ゆふべ悲しき秋風に
香ひを送る※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]《けい》の草
またはいましがパトモスの
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