夢をしも
見るにやあらむ海にきて
まのあたりなるこの夢は

これを思へば胸滿ちて
流るゝ涙せきあへず
今はた櫂をうちふりて
波と戰ふ力なく
死して仆《たふ》るゝ人のごと
身を舟板に投《な》げ伏しぬ

一葉《ひとは》にまがふ舟の中
波にまかせて流れつゝ
聲を放ちて泣き入れば
げに底ひなきわだつみの
上に行方も定めなき
鴎《かもめ》の身こそ悲しけれ

時には遠き常闇《とこやみ》の
光なき世に流れ落ち
朽ちて行くかと疑はれ
時には頼む人もなき
冷《つめ》たき冥府《よみ》の水底《みなそこ》に
沈むかとこそ思はるれ

あゝあやまちぬよしや身は
おろかなりともかくてわれ
もろく果つべき命かは
照る日や月や上にあり
大龍神《おほたつがみ》も心あらば
賤《いや》しきわれをみそなはせ

かくと心に定めては
波ものかはと勵《はげ》みたち
闇《やみ》のかなたを窺ふに
空《そら》はさびしき雨となり
潮《うしほ》にうつる燐《りん》の火の
亂れて燃ゆる影青し

我《われ》よるべなき海の上《へ》に
活《い》ける力の胸の火を
わづかに頼む心より
消えてはもゆる闇の夜《よ》の
その靜かなる光こそ
漂《たゞよ》ふ身にはう
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