小兎を
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 晩春の別離


時は暮れ行く春よりぞ
また短きはなかるらむ
恨《うらみ》は友の別れより
さらに長きはなかるらむ

君を送りて花近き
高樓《たかどの》までもきて見れば
緑に迷ふ鶯は
霞《かすみ》空《むな》しく鳴きかへり
白き光は佐保姫の
春の車駕《くるま》を照らすかな

これより君は行く雲と
ともに都を立ちいでて
懷《おも》へば琵琶の湖《みづうみ》の
岸の光にまよふとき
東|膽吹《いぶき》の山高く
西には比叡比良の峯
日は行き通ふ山々の
深きながめをふしあふぎ
いかにすぐれし想《おもひ》をか
沈める波に湛《たゝ》ふらむ

流れは空し法皇の
夢《ゆめ》杳《はる》かなる鴨の水
水にうつろふ山城の
みやびの都《みやこ》行く春の
霞めるすがた見つくして
畿内に迫る伊賀伊勢の
鈴鹿の山の波遠く
海に落つるを望むとき
いかに萬《よろづ》の恨《うらみ》をば
空行く鷲に窮むらむ

春去り行かば青丹よし
奈良の都に尋ね入り
としつき君がこひ慕ふ
御堂《みだう》のうちに遊ぶとき
古き藝術《たくみ》の花の香《か》の
伽藍《がらん》の壁《かべ》に遺りなば
いかに韻《にほひ》を
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