なせば
行きかふ人の目に觸れて
落ちて履《ふ》まるゝ野路《のぢ》の梅
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門田にいでて
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遠征する人を思ひて娘の
うたへる
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門田《かどた》にいでて
草とりの
身のいとまなき
晝《ひる》なかば
忘るゝとには
あらねども
まぎるゝすべぞ
多かりき
夕ぐれ梭《をさ》を
手にとりて
こゝろ靜かに
織《お》るときは
人の得しらぬ
思ひこそ
胸より湧《わ》きて
流れけれ
あすはいくさの
門出《かどで》なり
遠きいくさの
門出なり
せめて別れの
涙をば
名殘にせむと
願ふかな
君を思へば
わづらひも
照る日にとくる
朝の露
君を思へば
かなしみも
緑《みどり》にそゝぐ
夏の雨
君を思へば
闇《やみ》の夜も
光をまとふ
星の空
君を思へば
淺茅生《あさぢふ》の
荒《あ》れにし野邊も
花のやど
胸の思ひは
つもれども
吹雪《ふぶき》はげしき
こひなれば
君が光に
照《て》らされて
消えばやとこそ
恨《うら》むなれ
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寶はあはれ碎けけり
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老いたる鍛冶のうたへる
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寶《たから》はあはれ
碎《くだ》けけり
さなり愛兒《まなご》は
うせにけり
なにをかたみと
ながめつゝ
こひしき時を
忍ぶべき
ありし昔の
香ににほふ
薄《うす》はなぞめの
帶よけむ
麗《うる》はしかりし
黒髮の
かざしの紅《あか》き
珠《たま》よけむ
帶はあれども
老《おい》が身に
ひきまとふべき
すべもなし
珠《たま》はあれども
白髮《しらかみ》に
うちかざすべき
すべもなし
ひとりやさしき
面影《おもかげ》は
眼《まなこ》の底に
とゞまりて
あしたにもまた
ゆふべにも
われにともなふ
おもひあり
あゝたへがたき
くるしみに
おとろへはてつ
爐前《ほどまへ》に
仆《たふ》れかなしむ
をりをりは
面影さへぞ
力なき
われ中槌《なかつち》を
うちふるひ
ほのほの前に
はげめばや
胸にうつりし
亡き人の
語《かた》らふごとく
見ゆるかな
あな面影の
わが胸に
活《い》きて微笑《ほゝゑ》む
たのしさは
やがてつとめを
いそしみて
かなしみに勝つ
生命《いのち》なり
汗《あせ》はこひしき
涙なり
勞働《つとめ》は活ける
思ひなり
いでやかひなの
折るゝまで
けふのつとめを
いそしまむ
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新潮
一
我《われ》あげまきのむかしより
潮《うしほ》の音《おと》を聞き慣れて
磯邊に遊ぶあさゆふべ
海人《あま》の舟路を慕ひしが
やがて空《むな》しき其夢は
身の生業《なりはひ》となりにけり
七月夏の海《うみ》の香《か》の
海藻《あまも》に匂ふ夕まぐれ
兄もろともに舟《ふね》浮《う》けて
力をふるふ水馴棹《みなれざを》
いづれ舟出《ふなで》はいさましく
波間に響く櫂の歌
夕潮《ゆふしほ》青き海原《うなばら》に
すなどりすべく漕ぎくれば
卷《ま》きては開く波の上の
鴎の夢も冷やかに
浮び流るゝ海草《うみぐさ》の
目にも幽《かす》かに見ゆるかな
まなこをあげて落つる日の
きらめくかたを眺むるに
羽袖うちふる鶻隼《はやぶさ》は
彩《あや》なす雲を舞ひ出でて
翅《つばさ》の塵《ちり》を拂ひつゝ
物にかゝはる風情《ふぜい》なし
飄々として鳥を吹く
風の力もなにかせむ
勢《いきほひ》龍《たつ》の行くごとく
羽音《はおと》を聞けば葛城の
そつ彦むかし引きならす
眞弓《まゆみ》の弦《つる》の響あり
希望《のぞみ》すぐれし鶻隼よ
せめて舟路のしるべせよ
げにその高き荒魂《あらだま》は
敵《てき》に赴《おもむ》く白馬《しろうま》の
白き鬣《たてがみ》うちふるひ
風を破《やぶ》るにまさるかな
海面《うみづら》見ればかげ動く
深紫の雲の色
はや暮れて行く天際《あまぎは》に
行くへや遠き鶻隼の
もろ羽《は》は彩《あや》にうつろひて
黄金《こがね》の波にたゞよひぬ
朝《あした》夕《ゆふべ》を刻《きざ》みてし
天の柱の影暗く
雲の帳《とばり》もひとたびは
輝きかへる高御座《たかみくら》
西に傾く夏の日は
遠く光彩《ひかり》を沈めけり
見ようるはしの夜《よる》の空《そら》
見ようるはしの空の星
北斗の清《きよ》き影《かげ》冱《さ》えて
望みをさそふ天の花
とはの宿りも舟人《ふなびと》の
光を仰ぐためしかな
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