花躑躅
わが老鷲は肩剛く胸腹《むなばら》廣く溢れいで
烈しき風をうち凌ぐ羽《はね》は著《しる》くもあらはれて
藤の花かも胸の斑《ふ》や髀《もゝ》に甲《よろひ》をおくごとく
鳥《とり》の命《いのち》の戰ひに翼にかゝる老の霜
げにいかめしきものゝふの盾《たて》にもいづれ翼をば
張りひろげたる老鷲のふたゝびみたび羽《は》ばたきて
踴れる胸は海潮《うみじほ》の湧きつ流れつ鳴るごとく
力あふれて空高く舞ひたちあがるすがたかな
黒岩茸の岩ばなに生ふにも似るか若鷲の
巖角《いはかど》ふかく身をよせて飛ぶ老鷲をうかゞふに
紋は花菱舞ひ扇ひらめきかへる疾風《はやかぜ》の
わが老鷲を吹くさまは一葉《ひとは》を振《ふ》るに似たりけり
たゝかふためにうまれては羽《はね》を劍《つるぎ》の老鷲の
うたむかたむと小休なき熱き胸より吹く氣息《いき》は
色くれなゐの火炎《ほのほ》かもげに悲痛《かなしみ》の湧き上り
勁《つよ》き翼をひるがへしかの天雲《あまぐも》を凌ぎけり
光《ひかり》を慕ふ身なれども運命《さだめ》かなしや老鳥《おいどり》の
一こゑ深き苦悶《くるしみ》のおとをみそらに殘しおき
金絲《きんし》の縫の黒繻子の帶かとぞ見る黒雲《くろくも》の
羽袖のうちにつゝまれて姿はいつか消えにけり
あゝさだめなき大空《おほぞら》のけしきのとくもかはりゆき
闇《くら》きあらしのをさまりて光にかへる海原や
細くかゝれる彩雲《あやぐも》はゆかりの色の濃紫
薄紫のうつろひに樂しき園となりけらし
命を岩につなぎては細くも絲をかけとめて
腋羽《ほろば》につゝむ頭《かしら》をばうちもたげたる若鷲の
鉤《はり》にも似たる爪先の雨にぬれたる岩ばなに
かたくつきたる一つ羽《は》はそれも名殘か老鷲の
霜ふりかゝる老鷲の一羽《ひとは》をくはへ眺むれば
夏の光にてらされて岩根にひゞく高潮《たかしほ》の
碎けて深き海原《うなばら》の岩角《いはかど》に立つ若鷲は
日影にうつる雲さして行くへもしれず飛ぶやかなたへ
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白磁花瓶賦
みしやみぎはの白あやめ
はなよりしろき花瓶《はながめ》を
いかなるひとのたくみより
うまれいでしとしるやきみ
瓶《かめ》のすがたのやさしきは
根ざしも清き泉より
にほひいでたるしろたへの
こゝろのはなと君やみむ
さばかり清きたくみぞと
いひたまふこそうれしけれ
うらみわびつるわが友の
うきなみだよりいでこしを
ゆめにたはふれ夢に醉ひ
さむるときなきわが友の
名殘は白き花瓶《はながめ》に
あつきなみだの殘るかな
にごりをいでてさくはなに
にほひありとなあやしみそ
光《ひかり》は高き花瓶《はながめ》に
戀の嫉妬《ねたみ》もあるものを
命運《さだめ》をよそにかげろふの
きゆるためしぞなしといへ
あまりに薄き縁《えにし》こそ
友のこのよのいのちなれ
やがてさかえむゆくすゑの
ひかりも待たで夏の夜の
短かき夢は燭火《ともしび》の
花と散りゆきはかなさや
つゆもまだひぬみどりばの
しげきこずゑのしたかげに
ほとゝぎすなく夏のひの
もろ葉がくれの青梅《あをうめ》も
夏の光のかゞやきて
さつきの雨のはれわたり
黄金《こがね》いろづく梅が枝《え》に
たのしきときやあるべきを
胸の青葉のうらわかみ
朝露《あさつゆ》しげきこずゑより
落ちてくやしき青梅《あをうめ》の
實《み》のひとつなる花瓶《はながめ》よ
いのちは薄き蝉の羽の
ひとへごろものうらもなく
はじめて友の戀歌《こひうた》を
花影《はなかげ》にきてうたふとき
緑のいろの夏草の
あしたの露にぬるゝごと
深くすゞしきまなこには
戀の雫のうるほひき
影を映《うつ》してさく花の
流るゝ水を慕ふごと
なさけをふくむ口脣に
からくれなゐの色を見き
をとめごゝろを眞珠《しらたま》の
藏《くら》とは友の見てしかど
寶《たから》の胸をひらくべき
戀の鍵《かぎ》だになかりしか
いとけなきかなひとのよに
智惠ありがほの戀なれど
をとめごゝろのはかなさは
友の得しらぬ外なりき
あひみてのちはとこしへの
わかれとなりし世のなごり
かなしきゆめと思ひしを
われや忘れじ夏の夜半《よは》
月はいでけり夏の夜の
青葉の蔭にさし添ひて
あふげば胸に忍び入る
ひかりのいろのさやけさや
ゆめにゆめ見るこゝちして
ふたりの膝をうち照らす
月の光にさそはれつ
しづかに友のうたふうた
たれにかたらむ
わがこゝろ
たれにかつげむ
このおもひ
わかきいのちの
あさぼらけ
こゝろのはるの
たのしみよ
などいたましき
かなしみの
ゆめとはかはり
はてつらむ
こひはにほへる
むらさきの
さきてちりぬる
はななるを
あゝかひなしや
そのはなの
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