集は、明治二十九年より三十三年へかけ前後五年に亙つて、それ/″\別册として公にしたものであつたが、三十七年の夏に『一葉舟』や『落梅集』から散文の部を省いて、合本一卷とした。私の詩集として世に流布してゐるものがそれである。
さういふ私は今、岩波書店の主人から普及叢書の一册として、この詩集の抄本をつくることを求められた。思ふに、原本の詩集を縮め、僅かの省略を行ひ、たゞ形を變へるといふだけのことならば、抄本をつくることもさう骨は折れまい。しかしそれでは意味はすくない。長い月日の間には原本の詩集も幾度かの編み直しと改刷とを經たものであるが、更に私は編み方を變へて、此の抄本をつくることにした。尤も、詩集としての内容にさう變りのあらう筈もないが、編み方に意を用ひたなら、抄本は抄本として意味あるものとならうかと思ふ。
これを編むにつけても、もつと私は嚴しく選むべきであつたかとも考へる。今になつて見ると『若菜集』の中に、仙臺時代以前に書いた二三の古い詩を見つける。『君と遊ばむ』『流星』なぞがそれで、さういふものは省いたらとも考へたが、自分の出發の支度はそんなところにあつたことを思ひ、未熟なものも一概にそれを省き去る氣になれなかつた。原本の詩集のうち、一番多くを省いたのは『夏草』の中からで、『若菜集』や『落梅集』からも長短數篇を省いた。題目等もこの抄本にはいくらか改めて置いたものもある。すべてはこれらの詩を書いた當時の自分の心持に近づけることを主にした。
思へば私が『若菜集』を出したのは、今から三十一年の前にもあたる。この古い落葉のやうな詩が今日まで讀まれて來たといふことすら、私には意外である。頭髮既に白い私がこれを編むのは、自分の青年時代を編むやうなものである。この抄本をつくるにつけても、今昔の感が深い。
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昭和二年五月
[#ここで字下げ終わり]
[#地から7字上げ]麻布飯倉にて
[#地から3字上げ]著者
[#改ページ]
藤村詩抄目次
自序
抄本を出すにつきて
――――――――
若菜集より
序のうた
草枕
二つの聲
松島瑞巖寺に遊びて
春
一 たれかおもはむ
二 あけぼの
三 春は來ぬ
四 眠れる春よ
五 うてや鼓
明星
潮音
おえふ
おきぬ
おさよ
おくめ
おつた
おきく
醉歌
哀歌
秋思
初戀
狐のわざ
髮を洗へば
君がこゝろは
傘のうち
秋に隱れて
知るや君
秋風の歌
雲のゆくへ
母を葬るのうた
合唱
一 暗香
二 蓮花舟
三 葡萄の樹のかげ
四 高樓
ゆふぐれしづかに
月夜
強敵
別離
望郷
かもめ
流星
君と遊ばむ
晝の夢
四つの袖
※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]
林の歌
一葉舟より
鷲の歌
白磁花瓶賦
銀河
きりぎりす
春やいづこに
夏草より
子兎のうた
晩春の別離
うぐひす
かりがね
野路の梅
門田にいでて
寶はあはれ碎けけり
新潮
落梅集より
常盤樹
寂寥
千曲川旅情の歌
一
二
鼠をあはれむ
勞働雜詠
一 朝
二 晝
三 暮
爐邊雜興
黄昏
枝うちかはす梅と梅
めぐり逢ふ君やいくたび
あゝさなり君のごとくに
思より思をたどり
吾戀は河邊に生ひて
吾胸の底のこゝには
君こそは遠音に響く
こゝろをつなぐしろかねの
罪なれば物のあはれを
風よ靜かにかの岸へ
椰子の實
浦島
舟路
鳥なき里
藪入
惡夢
響りん/\音りん/\
翼なければ
罪人と名にも呼ばれむ
胡蝶の夢
落葉松の樹
ふと目はさめぬ
縫ひかへせ
[#改丁]
若菜集より
明治二十九年――同三十年
(仙臺にて)
[#改丁]
序のうた
心《こゝろ》無《な》き歌のしらべは
一房《ひとふさ》の葡萄のごとし
なさけある手にも摘《つ》まれて
あたゝかき酒となるらむ
葡萄棚ふかくかゝれる
紫《むらさき》のそれにあらねど
こゝろある人のなさけに
蔭に置く房の三つ四つ
そは歌の若きゆゑなり
味ひも色も淺くて
おほかたは噛《か》みて捨つべき
うたゝ寢の夢のそらごと
[#改ページ]
草枕
夕波くらく啼く千鳥
われは千鳥にあらねども
心の羽《はね》をうちふりて
さみしきかたに飛べるかな
若き心の一筋に
なぐさめもなくなげきわび
胸の氷のむすぼれて
とけて涙となりにけり
蘆葉《あしは》を洗ふ白波の
流れて巖《いは》を出づるごと
思ひあまりて草枕
まくらのかずの今いくつ
かなしいかなや人の身の
なきなぐさめを尋ね侘び
道なき森に分け入りて
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