たへしは
薄紅《うすくれなゐ》の秋の實《み》に
人こひ初《そ》めしはじめなり
わがこゝろなきためいきの
その髮の毛にかゝるとき
たのしき戀の盃《さかづき》を
君が情《なさけ》に酌みしかな
林檎畑の樹《こ》の下《した》に
おのづからなる細道《ほそみち》は
誰《た》が踏みそめしかたみぞと
問ひたまふこそうれしけれ
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狐のわざ
庭にかくるゝ小狐の
人なきときに夜《よる》いでゝ
秋の葡萄の樹の影に
しのびてぬすむつゆのふさ
戀は狐にあらねども
君は葡萄にあらねども
人しれずこそ忍びいで
君をぬすめる吾心
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髮を洗へば
髮を洗へば紫の
小草《をぐさ》のまへに色みえて
足をあぐれば花鳥《はなとり》の
われに隨ふ風情《ふぜい》あり
目にながむれば彩雲《あやぐも》の
まきてはひらく繪卷物《ゑまきもの》
手にとる酒は美酒《うまざけ》の
若き愁《うれひ》をたゝふめり
耳をたつれば歌神《うたがみ》の
きたりて玉《たま》の簫《ふえ》を吹き
口をひらけばうたびとの
一ふしわれはこひうたふ
あゝかくまでにあやしくも
熱きこゝろのわれなれど
われをし君のこひしたふ
その涙にはおよばじな
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君がこゝろは
君がこゝろは蟋蟀《こほろぎ》の
風にさそはれ鳴くごとく
朝影《あさかげ》清《きよ》き花草《はなぐさ》に
惜《を》しき涙をそゝぐらむ
それかきならす玉琴の
一つの糸のさはりさへ
君がこゝろにかぎりなき
しらべとこそはきこゆめれ
あゝなどかくは觸れやすき
君が優しき心もて
かくばかりなる吾こひに
觸れたまはぬぞ恨みなる
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傘のうち
二人《ふたり》してさす一張《ひとはり》の
傘《かさ》に姿をつゝむとも
情《なさけ》の雨のふりしきり
かわく間《ま》もなきたもとかな
顏と顏とをうちよせて
あゆむとすればなつかしや
梅花《ばいくわ》の油|黒髮《くろかみ》の
亂れて匂ふ傘《かさ》のうち
戀の一雨ぬれまさり
ぬれてこひしき夢の間《ま》や
染めてぞ燃ゆる紅絹《もみ》うらの
雨になやめる足まとひ
歌ふをきけば梅川よ
しばし情《なさけ》を捨てよかし
いづこも戀に戲《たはふ》れて
それ忠兵衞の夢がたり
こひしき雨よふらばふれ
秋の入日の照りそひて
傘《かさ》の涙を乾《ほ》さぬ間《ま》に
手に手をとりて行きて歸《かへ》らじ
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秋に隱れて
わが手に植ゑし白菊の
おのづからなる時くれば
一もと花の暮陰《ゆふぐれ》に
秋に隱《かく》れて窓にさくなり
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知るや君
こゝろもあらぬ秋鳥《あきとり》の
聲にもれくる一ふしを
知るや君
深くも澄《す》める朝潮《あさじほ》の
底にかくるゝ眞珠《しらたま》を
知るや君
あやめもしらぬやみの夜に
靜《しづか》にうごく星くづを
知るや君
まだ彈《ひ》きも見ぬをとめごの
胸にひそめる琴の音《ね》を
知るや君
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秋風の歌
さびしさはいつともわかぬ山里に
尾花みだれて秋かぜぞふく
しづかにきたる秋風の
西の海より吹き起り
舞ひたちさわぐ白雲《しらくも》の
飛びて行くへも見ゆるかな
暮影《ゆふかげ》高く秋は黄の
桐の梢の琴の音《ね》に
そのおとなひを聞くときは
風のきたると知られけり
ゆふべ西風《にしかぜ》吹き落ちて
あさ秋の葉の窓に入り
あさ秋風の吹きよせて
ゆふべの鶉巣に隱《かく》る
ふりさけ見れば青山《あをやま》も
色はもみぢに染めかへて
霜葉《しもば》をかへす秋風の
空《そら》の明鏡《かゞみ》にあらはれぬ
清《すゞ》しいかなや西風の
まづ秋の葉を吹けるとき
さびしいかなや秋風の
かのもみぢ葉《ば》にきたるとき
道を傳ふる婆羅門《ばらもん》の
西に東に散《ち》るごとく
吹き漂蕩《たゞよは》す秋風に
飄《ひるがへ》り行く木《こ》の葉《は》かな
朝羽《あさば》うちふる鷲鷹《わしたか》の
明闇天《あけくれそら》をゆくごとく
いたくも吹ける秋風の
羽《はね》に聲《こゑ》あり力《ちから》あり
見ればかしこし西風の
山の木《こ》の葉《は》をはらふとき
悲しいかなや秋風の
秋の百葉《もゝは》を落すとき
人は利劍《つるぎ》を振《ふる》へども
げにかぞふればかぎりあり
舌は時世《ときよ》をのゝしるも
聲はたちまち滅《ほろ》ぶめり
高くも烈《はげ》し野も山も
息吹《いぶき》まどはす秋風よ
世をかれがれとなすまでは
吹きも休《や》むべきけはひなし
あゝうらさびし天地《あめつち》の
壺《つぼ》の中《うち》なる秋の日や
落葉と共に飄《ひるがへ》る
風の行衞《ゆくへ》を誰か知る
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雲のゆくへ
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