かねにこの日の暮るゝとも
夕闇《ゆふやみ》かけてたゝずめば
こひしきやなぞ甚五郎
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春
一 たれかおもはむ
たれかおもはむ鶯の
涙もこほる冬の日に
若き命は春の夜の
花にうつろふ夢の間《ま》と
あゝよしさらば美酒《うまざけ》に
うたひあかさん春の夜を
梅のにほひにめぐりあふ
春を思へばひとしれず
からくれなゐのかほばせに
流れてあつきなみだかな
あゝよしさらば花影に
うたひあかさむ春の夜を
わがみひとつもわすられて
おもひわづらふこゝろだに
春のすがたをとめくれば
たもとににほふ梅の花
あゝよしさらば琴の音に
うたひあかさむ春の夜を
二 あけぼの
紅《くれなゐ》細くたなびける
雲とならばやあけぼのの
雲とならばや
やみを出でては光ある
空とならばやあけぼのの
空とならばや
春の光を彩《いろど》れる
水とならばやあけぼのの
水とならばや
鳩に履まれてやはらかき
草とならばやあけぼのの
草とならばや
三 春は來ぬ
春はきぬ
春はきぬ
初音やさしきうぐひすよ
こぞに別離《わかれ》を告げよかし
谷間に殘る白雪よ
葬りかくせ去歳《こぞ》の冬
春はきぬ
春はきぬ
さみしくさむくことばなく
まづしくくらくひかりなく
みにくくおもくちからなく
かなしき冬よ行きねかし
春はきぬ
春はきぬ
淺みどりなる新草《にひぐさ》よ
とほき野面《のもせ》を畫《ゑが》けかし
さきては紅《あか》き春花《はるばな》よ
樹々《きゞ》の梢を染めよかし
春はきぬ
春はきぬ
霞よ雲よ動《ゆる》ぎいで
氷れる空をあたゝめよ
花の香《か》おくる春風よ
眠れる山を吹きさませ
春はきぬ
春はきぬ
春をよせくる朝汐《あさじほ》よ
蘆の枯葉《かれは》を洗ひ去れ
霞に醉へる雛鶴よ
若きあしたの空に飛べ
春はきぬ
春はきぬ
うれひの芹の根は絶えて
氷れるなみだ今いづこ
つもれる雪の消えうせて
けふの若菜と萌えよかし
四 眠れる春よ
ねむれる春ようらわかき
かたちをかくすことなかれ
たれこめてのみけふの日を
なべてのひとのすぐすまに
さめての春のすがたこそ
また夢のまの風情なれ
ねむげの春よさめよ春
さかしきひとのみざるまに
若紫の朝霞
かすみの袖をみにまとへ
はつねうれしきうぐひすの
鳥のしらべをうたへかし
ねむげの春よさめよ春
ふゆのこほりにむすぼれし
ふるきゆめぢをさめいでて
やなぎのいとのみだれがみ
うめのはなぐしさしそへて
びんのみだれをかきあげよ
ねむげの春よさめよ春
あゆめばたにの早《さ》わらびの
したもえいそぐ汝《な》があしを
たかくもあげよあゆめ春
たえなるはるのいきを吹き
こぞめの梅の香ににほへ
五 うてや鼓
うてや鼓の春の音
雪にうもるゝ冬の日の
かなしき夢はとざされて
世は春の日とかはりけり
ひけばこぞめの春霞
かすみの幕をひきとぢて
花と花とをぬふ絲は
けさもえいでしあをやなぎ
霞のまくをひきあけて
春をうかがふことなかれ
はなさきにほふ蔭をこそ
春の臺《うてな》といふべけれ
小蝶よ花にたはふれて
優しき夢をみては舞ひ
醉うて羽袖もひら/\と
はるの姿をまひねかし
緑のはねのうぐひすよ
梅の花笠ぬひそへて
ゆめ靜なるはるの日の
しらべを高く歌へかし
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明星
浮べる雲と身をなして
あしたの空に出でざれば
などしるらめや明星の
光の色のくれなゐを
朝の潮《うしほ》と身をなして
流れて海に出でざれば
などしるらめや明星の
清《す》みて哀《かな》しききらめきを
なにかこひしき曉星《あかぼし》の
空《むな》しき天《あま》の戸を出でて
深くも遠きほとりより
人の世近く來《きた》るとは
潮《うしほ》の朝のあさみどり
水底《みなそこ》深き白石を
星の光に透《す》かし見て
朝《あさ》の齡《よはひ》を數ふべし
野の鳥ぞ啼く山河《やまかは》も
ゆふべの夢をさめいでて
細く棚引くしのゝめの
姿をうつす朝ぼらけ
小夜《さよ》には小夜のしらべあり
朝には朝の音《ね》もあれど
星の光の絲《いと》の緒《を》に
あしたの琴は靜《しづか》なり
まだうら若き朝の空
きらめきわたる星のうち
いちいと若き光をば
名《なづ》けましかば明星と
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潮音
わきてながるゝ
やほじほの
そこにいざよふ
うみの琴
しらべもふかし
もゝかはの
よろづのなみを
よびあつめ
ときみちくれば
うらゝかに
とほくきこゆる
はるのしほのね
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おえふ
處女《をとめ》ぞ經《へ》ぬるおほかたの
われは夢路《ゆめぢ》を越えてけり
わが世の坂にふりかへり
いく山河《やまかは》をながむれば
水
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