「かも知れないのだ。しかし、山の蕨《わらび》が膳に上る季節でありながら、それを甘辛《あまから》に煮つけてしまつたでは、折角の新鮮な山の物の風味に乏しい。惜しいことだ。これはわたしたちばかりでもないと見えて、伊香保へ入湯に出掛けた親戚のものなぞは皆それを言ふ。ともあれ、これほど樂しみにしてやつて來て、快い温泉に身を浸すことが出來れば、それだけでもわたしたちには澤山だつた。わたしたちはまた、この温泉地に縁故の深い故徳富蘆花君の噂なぞを土地のものから聞くだけにも滿足して、歸りの土産には伊香保名物の粽《ちまき》、饅頭、それから東京の留守宅の方にわたしたちを待ち受けてゐて呉れる年寄のために木細工の刻煙草入なぞを求めた。
山を降りる時のわたしたちの自動車には、一人の宿の女中をも乘せた。その女中は齒の療治に行きたいが、澁川まで一緒に乘せて行つては呉れまいかと言ふ。これも東海道の旅にはない圖であつた。
京都日記
六月八日。
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川越の老母、昨日上京。わたしたちの京都行が川越へも知らせてあつたので、留守居かた/″\出て來て呉れた。家内の實母は根が東京の人であるところか
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