ウせる。ケエブル・カアで登つて行つて見れば、山上には榛名湖のやうなところがあつて、鯉、鮒、さてはわかさぎなぞの養へるほどな水を湛へながら、田畠を開拓しようにも灌漑の方法もなく、熱い温泉をうめる水もないとは、不思議なくらゐのところだ。先年の伊香保の大火もまたそのためと聞く。同じ古い温泉地でも熱海のやうに無制限な發展の出來ないのは、かうした自然の制約があるからで、そこに土地の人達の惱みもあらうと察せらるゝ。そのかはり、こゝの山間には好い清水が湧く。その清さ、たまやかさは海岸の地方にないものだとのことである。ある人の言葉に、溪水を飮む地方の人は心までも潔《きよ》いとやら。日頃飮む水の輕さ、重さ、荒さ、やはらかさが、自然とわたしたちの體質や氣質にまで影響することはありさうに思はれる。その意味から言つて、伊香保がどことなく田舍めき、他の温泉地に見るやうな華美がすくなく、土地のものはむしろ昔ながらの質朴を誇つてゐるといふのも、偶然ではないかも知れない。

 山の湯たりとも人の發掘したものには相違ない。昔の人はこゝに神佛禮拜の靈場を結びつけ、今の人はスキイ場なぞの娯樂と運動の機關を結びつける。さうい
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