ゥしわたしのやうに何の支度もなしに、いきなり出掛けて行つたものでも、それを樂しむことが出來てうれしかつた。終に、中古以來の人の日常生活と結びついたもので、能なぞの舞臺面をも彩るものの一つは、扇の活用であることをこゝに書き添へよう。この國の扇は手や足ほどに物を言ふ。あれは外國のオペラなぞにちよつとないものだ。古風な舞なぞからあの扇の働きを引き離しては考へられないくらゐだ。喜多氏方でもあの扇が實によく眼についた。

 猶、能のやうな藝術に子供の世界のあまり感じられないのは、どういふ理由であるのか、それもわたしの知りたいと思ふことの一つである。涙の奧にある深い悲哀、笑の奧にある深い微笑、そこまで辿つて行くと、能の藝術に隱れてゐる幽玄といふことに突き當る心地もする。

     伊香保土産

 にはかに思ひ立つて伊香保まで出掛けた。日頃わたしは避暑の旅に出たこともなく、夏は殆んど東京の町中に暮してゐるが、そのかはり春蠶、秋蠶の後の骨休めを心掛ける農家の人達のやうに、自分の仕事の合間を見てはちよいちよい小さな旅に出掛ける。わたしの足はよく湘南地方へ向く。湯河原あたりへはよく二三日の保養に出掛けて
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