烽ウかりを過ぎた頃に一茶のやうな作者の生きてゐたといふことにも心をひかれる。

     ごめん下さい

『先生――ごめん下さい、新年早々から。』
 ことしの正月のことであつた。ある未知の少年から、かういふ書出しの葉書を貰つた。それには可愛らしい筆蹟で次のやうな言葉も認めてあつた。
『でも僕、氣にかゝつて仕方がないのです。といふのは、先生がいつも「達」といふ字を間違つてゐられるからです。こんなことは、どうでもいゝのですが、どうも先生の御寫眞を見てをりますと氣にかゝりますので、お知らせいたします。今年もよいお仕事をして下さい。』
 とある。
 これには、わたしも赤面した。成程、この未知の少年が教へてよこして呉れた通り、わたしはいつも『達』といふ字を間違つて書いてゐた。そして自分等の年若な時分に一度間違つて覺え込んだことは、何十年經つても容易にそれを改めることは出來ないものだと思つた。

     餞の言葉
[#天から10字下げ](新潮社發行大衆雜誌『日の出』の創刊に際して)

『日の出』の編輯氏から、その創刊號のはじに何か書きつけることを求められた。月々の讀者を相手にする雜誌發行のことは
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