ルどの時代に生れ合せた人達が思ふことを自由に言ひあらはせない筈もない。
ところが、わたしは身のまはりに集まつて來る諸方からの音信に接する度に、これはと思ふやうな手紙を書く婦人のすくないのに驚くことがある。何も言ひ※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]しの巧みさを求めるでもない。澤山な言葉を求めるでもない。眞情が直敍されてあつて、その人がよくあらはれてゐればと思ふのだが、さういふ手紙もすくないものだと思ふ。勿論、書けば書いたで、書かなければ書かないで、兎角物足りなさが先に立つて、わたしたちの思ふことがなか/\さう盡せる筈もないのだが、しかし相應に心も深く、生活も豐當で、逢つて話して見れば感心するやうな婦人が、どうしてこんな手紙を書くかと思つて心に驚ろくこともある。近頃、わたしはあるお孃さんが人の許に寄せた手紙のことに就いて、その話を又聞きにしたことがあつた。それを受け取つた人は、これが今の日本で最も進んだ教育を受けたといふお孃さんの書いた手紙かとさう思つたといふ。現代の人の口にのぼる問題でおよそ知らないことはないと言ふほどのお孃さんにして、どうしてそんな感じを人に與へるのか。教養と
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