ニもないなぞとは信じ難い。しかし實際さういふ時代もあつた。
昔は手紙を書くことを知らない婦人すらあつた。手紙と言へば、おほよそ定められた手本があつて、さういふ文範の教へる書き方によらなければ書けないものだと思つた人達が多かつたらしい。
さういふ昔にも、好い手紙をのこした婦人達がなくもない。わたしはある商家の老婦人がその娘に宛てた數通の手紙の殘つたのを讀んで感心したことがあつた。その老婦人の書いたものも、『一筆しめしあげまゐらせ候』から始めて、『あら/\かしく』で結んだものではあつたが、内容は自由に、昔風な手紙の型の堅さなどはすこしもなく、こまかい心持もよくあらはれてゐて、子を思ふ母親の心がおのづからそんな好い手紙を書かせたのだと感心したことがあつた。その中には、『どうして自分の生んだ娘はこんなやくざなものばかりか』となげきかなしんだ言葉のあつたことを覺えてゐる。
今日の婦人には最早わたしたちの母の時代のやうな窮屈さはない。婦人の教育はさかんになり、一切の舊い型は破れ、見るもの聞くものは清新に、深い窓にのみ籠り暮した昔の婦人に比べたら實に廣々とした世界へ躍り出して來てゐる。これ
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