「ふ人もゐたと考へて見ることも、またおもしろい。

     笑

 もし今の世に笑を持ち來す人があつて、詩歌小説であれ、繪畫彫刻であれ、演劇であれ、あるひは映畫であれ、何等かの形によくそれをあらはして見せて呉れるなら、どんなにわたしなぞはそれを見ることを樂しみにするだらう。
 誰でも人間の笑顏を見たいと思はないものはない。もし又、その笑が冷たいものでもなくて、直ぐにも親しめるやうなものであつて呉れるなら、どんなに樂しからう。そのことをすこしこゝに書きつけて見る。

 笑で思ひ出す。昔から美しい人のたとへにもよく引合に出される名高い支那の妃が、めつたに笑はなかつた人であるといふことは、やがて深窓に運命の激しさをかこつ東洋の婦人の多かつたことを語るものであらうか。後の世までその名を謳《うた》はるゝほど、みめかたち麗しく生れついた人達が、さうめつたに笑はなかつたといふことは面白い。さういふ人達が一度笑つたら、國を傾けるほど美しかつたといふことも面白い。
 古い東洋文學の一面といふものは、さうした多情多恨の文字で滿たされてゐる。そこには、香魂とか、香骨とかの言葉が拾つても/\盡きないほどある
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