ケへ泄れ聞える時も來る。』
 源十郎の覺書はその言葉で終つてゐる。
 これを讀むと、源十郎はたゞ親から讓られた身代をよく護れといふやうな、ありふれた町人根性でのみこんな覺書をその子に殘した人とも思はれない。すくなくも彼は『天』といふことを考へた町人のやうだ。『得生の元に歸れ』とは、彼の覺書を貫く言葉である。心から出た汗のやうな言葉である。四人の子供を控へた初代源十郎夫婦の小歴史は、馬籠のやうな困窮な村にあつて激しい生活苦と鬪つた人達の歴史とも言へよう。彼のやうに少年時代からその兩親の苦鬪の跡を見て來て、だん/\この世の旅をし、いろ/\な人にも交つて見たものは、『日の本の一つの寶なる金銀、みだりにそれを我が物と心得、私用に費さうものなら、いつかは天道へ泄れ聞える時も來る』と言ふやうなところへ出て來てゐる。金銀、財産、諸道具、その他一切は、天よりの預りものと考へよ――この考へは、さうめづらしいことではないかも知れないが、彼のやうな町人の口からその言葉を聞くことはおもしろい。兎にもかくにも、彼はその年になつて見て、何物をもみだりに私すべきでないといふところに行き着いた。昔の町人の中には、かう
前へ 次へ
全195ページ中44ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング