ナ初の三分を翌年は一兩にしてやれるほどになつた。そんなふうにして追々と勵むうちに、飯米も一升買のものは一俵にし、後には隣國の中津川から馬で呼ぶやうになり、そのうちに少しづゝ商賣などもして、次第に今日に至るやうになつたとは、彼の兩親夫婦が折々の咄であつたとか。
 源十郎はこの覺書をつくるにつけても、自分等の暮し方、心の持ち方、町人としての身分、氣分、それから子供の育て方なぞを何くれとなく考へて見て、先代と今日とでは譬へも及ばないほどの相違であることをその子に言つて見せてゐる。彼にして見ると、第一朝夕の勤め方が大した相違である。すべては時に隨ふことではあるが、よその附合なぞも目立たないやう、その堪忍もして出來ないことはなささうなものであるに、當時は下着に郡内縞、又は時花小紋、上には縮などの羽織を重ね、袴、帶、腰の物までそれに順じ、さながら知行取りか乘物にでも乘りさうな人柄に見えるのを好い人體《にんてい》と心得、その身は猶更、親々までが元を忘れて、自然と先代からの奢りを増長することになる。これでは、三代目か四代目には登り詰めるか、下るか、いづれはどうしやうもない身分となるに相違ない。これは元
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