_思ひ出し/\、書き足した部分もあつたのであらう。前後二通の覺書は、彼が長い年月をかけて、その子のために用意して置いて行つたものと見ていゝ。殊に、後の覺書は前のものの不足を補はうとして、多少重複したところがなくもないが、一層こまやかに、心を籠めて書いてある。
 もう一度、源十郎のやうな町人をして、彼等自身をこゝに語らせたい。彼に言はせると、自分等は代々の百姓で、先代より困窮のよしにうけたまはつてゐるが、兩親が追々の骨折りで當時安樂に暮すやうになつた。これは、まつたく先祖と兩親との御蔭である。自分が若年の頃から朝晩の咄にうけたまはつたところによると、隱居は十八歳で身上《しんしやう》を受け取り、蜂谷の名跡《みやうせき》をつぎ、馬籠宿の年寄役を勤め、二十八九の頃に八幡屋の普請をしたが、困窮の際であつたから農業にも精出してやつた。母人はまた母人で、この隱居を助けて、夜通し普請の折の木の片を燈《とぼ》し、それを油火に替へたとやら。その頃、母が片手間の商賣には豆腐屋をして、夜通し石臼をひき、その間には三四人の子供をひかへての辛勞から、夜一夜|安氣《あんき》に眠つたこともなかつたといふ。新宅のことで
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