宸ノ翁は鑑眞和尚の像といふものを拜んだ。翁が『雫ぬぐはばや』と吟じたほど心を打たれたといふのも和尚の眼であるが、この眼がまた、たゞの眼とも思はれない。そのことをこゝに書き添へる。
『笈の小文』といふは、その折の芭蕉翁の紀行である。その中に、『招提寺、鑑眞和尚來朝の時、船中七十餘度の難をしのぎたまひ、御眼のうち鹽風吹き入りて、終に御眼|盲《めしひ》させ給ふ』とあるのが、それだ。鑑眞和尚の傳記によると、實際は日本への航海の途中に失明したものでもなく、和尚がこの國へ向けて出發する以前に、この準備を心掛ける頃にすでに盲目の人であつたといふことである。おそらく、そのまぶたのぬれない時はなかつたほど、涙の多い生涯を送つた人とも思はれるが、一方にはその盲目が反つて物を明かに見る別の眼を見開かせたであらう。
交通の變革が持ち來すもの
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『舟の上に生涯を浮べ、馬の口をとらへて老を迎ふるものは、日々旅にして、旅を栖《すみか》とす。古人も多く旅に死せるあり。』
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『奧の細道』を讀んだほどの人で、この昔の教師の言葉から旅の意味を教へられなかつたものは
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