結びついて來てゐることも分る。さすがに歴史を取り扱つたものの方にはそんな筆づかひはしてないが、さうかと言つて實相を書いたもののやうにこまかくは入つてゐないし、會話もすくない。日頃自分の考へてゐたことを明かに三種の文體に書き分けて見せて呉れたフロオベルのやうな先人もあつたと想ひ見た時はうれしかつた。尤もこれは物語の技法と文章文體の上の話で、それを充たして行く作者の内の生命のことではない。そんなら、歴史と傳説とはどうしたら活き返つて來るかといふことになると、それはまた別問題だ。單なる過去は歴史でも傳説でもないからである。

     牧野信一君の『文學的自敍傳』

 牧野信一君の『文學的自敍傳』はおもに少年時代を敍したもので、これから大人の世界に入つて見たことを書きはじめようといふところで筆が止めてある。止めてあるといふよりは、むしろそこで筆が進まなくなつて、自然に止まつてしまつたといふ趣のものだ。文學的な自敍傳としてはそんな端緒に過ぎないやうなものであるが、自然と文學へ赴くより他に結局道もなかつたかの感を抱かせ、一作家の生ひ立を思はせるには十分なほどに出來るだけの壓縮もその筆に加へてあつ
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