州藩時代の作業のことに思ひ合せ、それを小谷狩とか大谷狩とか言ひならはして來たことにも思ひ合せて、あの御嶽山より流れ出る王瀧川その他に出て働く人達の役を、あるひはその役を勤める代りに金錢米穀等を納めさせられる家々のことを水役と言つたかといふ風に想像したこともあつた。七年もかゝつてさがして見た末に、それが傳馬役以外の雜役と解したら一番妥當であらうといふことになつた。この解釋は木曾出身の工學士遠藤於莵君を通して奈良井徳利屋の主人がわたしに答へて呉れたのであつた。過去を探らうとすると、一寸した一例がこんな場合に突き當る。尤も、分らないことは分らないなりに、讀者諸君には讀み過して貰つて、それでいゝ。わたしはその流儀だ。
それにしても、『夜明け前』の中にはわたしの説明不充分で、書いてあることの意味が讀者諸君に通じかねるやうな箇處もすくなくはなからうと思ふ。第一部第六章の一節に、『馬は四分より一疋出す、人足は五分より一人出す』といふところがあるが、あれなぞも一ヶ年の石高百石を標準にすることを斷るべきであつたかも知れない。伊那の谷の方から木曾下四宿へ繼立てを應援し人馬を補充するために出た助郷といふ
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