川時代の末にはさういふ水帳といふものも宿役人の手には渡されず、田畑字附高名寄帳なるものをその代りに渡され、それを水帳と心得て收納の事を勤めたとのことである。筆のついでに、當時の宿役人が藩の諸奉行なぞを案内する折のことを言つて見るなら、普通の場合は羽織に無刀、扇子を差し、村の境目まで出て、そこに控へ、案内すべき人の駕籠の兩側へ二人づゝ附き添ふ心得で、いろ/\指圖を受けるやうにしては勤めたものらしい。

 こんなことをこゝに書きつけて見たところで多くの讀者には興味もないかも知れないが、『夜明け前』序の章の第一節にある『水役』といふ言葉一つの意味をさぐるだけにも、ずゐぶんわたしは無駄な骨を折つた。わたしの祖父や父があの街道筋に働いた頃の馬籠宿には、二十五軒の御傳馬役と、三十二軒の水役とのあつたことは確かで、そのことは馬籠の脇本陣であり代々年寄役でもあつた八幡屋の覺帳にも明記してある。ところが誰もあの水役の性質をはつきり知るものがない。徳川林政史研究室の所三男君は例の研究癖から、この水役を問題にして諸方へ問ひ質しなどされたことがあり、わたしはまた冬の季節に當つて木曾山から數多の材木を伐り出す尾
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