た。といふのは、わたしの祖父や父が長い街道生活の間に書き殘したものもいろ/\あつたらしいのであるが、日清戰爭前の村の大火に父の藏書は燒けて、參考となる舊い記録とても吾家にはさう多く殘つてゐないからであつた。これなら安心して筆が執れるといふ氣をわたしに起させたのも大黒屋日記であつた。その年にわたしは一夏かゝつて大脇の隱居が殘した日記の摘要をつくり、それから長い仕事の支度に取りかゝつた。
好かれ惡しかれ、わたしたちは父の時代を知らねばならない。それをするには、わたしはやはり『言葉』から入つて行つた。『言葉』から歴史に入ることは、わたしなぞの取り得る眞實に近い方法だ。それを思ふと、おのづから讀み出でた歌や、根氣につけた日記や、その他種々な記録を殘して置いて呉れた過去の人達には感謝しなければならない。
過去をさぐればさぐるほど、平素のわたしたちが歴史上の知識と呼んで來たものも、その實はきはめて曖昧なものであつたことを知る。といふのは、兎角わたしたちは先入主となつた事物の見方に支配され易いからである。『夜明け前』には嘉永六年以來の木曾街道のことが書いてあるから、あの中には參覲交代の諸大名
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