キい傳統もあり、それに携はる人々は仕事の性質からも兎角舊套になづみ易かつたのに引きかへ、雜誌の經營は多く活溌な新人の仕事で、その足どりも輕く、時を見る眼のさとさにもすぐれてゐたと言はねばならない。今は故人となつた瀧田君なぞはたしかにその一人に數へられるべき人であらう。
瀧田君が雜誌の仕事に心身を投じはじめた頃の中央公論社はまだ新世帶であつて、同君は社主の麻田君を相手に臺所の相談にも預かれば、編輯も切り盛りし、廣告文にまで自ら筆を執るといふ風であつたと思ふ。わたしが瀧田君を知るやうになつたのも明治三十九年以後のことで、同君の新しい出發はやはりわたしたちと同じやうに日露戰爭以後の一大轉換期に際會した頃であつた。反省雜誌以來の中央公論が面目をあらため、文學の創作欄にも大に力を入れるやうになつたのは、その頃からであつたと記憶する。わたしは西大久保の方にあつた舊居でも、淺草新片町の方にあつた書齋でも、よく瀧田君の訪問を受けたが、一面には同君は文學の愛好者で、わたしたちが寄稿するものをところ/″\暗誦し、時には同君一流の批評を試みるほどの熱心さであつた。あの瀧田君が血の氣の多い頬、つぶらな眼、特
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