ェする。彼は部屋を明るくしようとして燈火をつけた。それがこの基督傳だ。トルストイの長い生涯の中でも、『アンナ・カレニナ』製作後は別人の觀があるが、今度わたしはこの書を手にして見て、それほど彼を變へたものは彼の内部よりも、むしろ外部にあつたらうといふことを感知した。さすがに、これが簡淨な筆で書かれてあることは譯文によつてもよく窺はれて、かの釋迦の言行を録した阿含の精神にも近いかと思はれる。
チエホフ
[#天から10字下げ](中村白葉君がチエホフの全著作を邦語に移すときゝて)
人生の冷たさ、温かさを簡潔な筆に盡して、姿あはれに情深きはチエホフの作品である。傳ふるところによると、曾てアンドレエフはチエホフの『三人姉妹』を舞臺の上に見、これこそほんたうの人生だと言つて、涙の流れるのを禁じ得なかつたといふ。このことは移してチエホフの全作品にあてはまる。すぐれた外國作者も數多くあるが、その中でわたしの最も好きな作者の一人はチエホフだ。彼こそまことの『笑』をこの世に持ち來した稀な文學者だ。
頃日、中村白葉君はチエホフの全著作を邦語に移すべく思ひ立ち、すでにその初期作品の飜譯を一卷に
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