闔O十九歳の頃にかけての句である。俳諧革新の意氣は、先づこの『虚栗《みなしぐり》』の破調となつてあらはれて來てゐる。其角その他の氣鋭な詩人の中心として、當時の芭蕉を想像して見ることもおもしろいと言へばおもしろいが、實はこれらの句、隨分危く、讀み返して見るとひや/\する。芭蕉にもこんな試錬の時代があつたかと思ひやられる。
しかし芭蕉には、すでに伊賀を出る頃から『雲とへだつ友かや雁の生わかれ』のやうに、一句の姿を聳え立つやうに仕立てる傾向がなくもない。この傾向は『虚栗』の時代にはげしいはけ口を見つけてゐると思ふ。かういふ傾向が作風の單調を破つて、あたかも山脈の骨のやうに、ずつと後年の圓熟した作の中にまじつて出て來てゐることも見逃せない。
よく見れば芭蕉には、この時代にすでに次のやうな句もある。
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雪の朝獨り干鮭《ほしか》を噛み得たり
芭蕉野分して盥に雨を聞夜哉
枯枝に烏のとまりたるや秋の暮
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更にまた次のやうな句もある。
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はせを植てまづにくむ荻の二葉哉
あさがほに我は食《めし》くふをとこ哉
世にふるはさらに宗祇の
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