アの世阿彌の口傳書の中に、諸道の藝の祕密も、それをあらはしてしまへば、そんなに大したことでもないものである、しかしそれを大したことでもないと言つてしまふ人は、まだ藝の祕密を知らないからだ、と教へてある。この人の書きのこしたものを見ても、さう大きな聲で物が言つてない。能の舞臺ですることに文字の風情にあたることは何かと人に尋ねられた時、それはこまやかな稽古であると答へ、その風情こそいろ/\な働きとなる初めであると答へ、舞臺の上の身づかひといふのもその風情であると答へ、さらにそれを花の風情に譬へて、濕つてしまつてはおもしろくない、花の萎れたところが面白いのだ、とさう教へてある。世阿彌といふ人が眼のつけ方も、心の持ち方も、すべてこの類だ。
諸藝に達した人々は、こんなに小さなことを粗末にしない。大きな聲を出すことを知つて、小さな聲を出すことを知らない者は疲れる。大きく働くことを知つてゐても、小さく働くことを知らない者は退屈する。大きな言葉ばかりを知りながら、小さな言葉のあることを知らない者は悶える。
故福澤翁に、小出しの説がある。人に物を贈らうとするのに、一時に多く贈らうと思ふことは反つて
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