と寒流とがあり、幾多の海潮とその逆潮とがあり、それから地震の波動があることもまた太平洋に似てゐる。あのブランデスの言葉の中に多くの反省すべきものがあると感ずるのは、おそらくわたし一人ではあるまいと思ふ。
曾て山陰地方への旅をして、城崎《きのさき》に近い瀬戸の日和山からも、香住の岡見公園からも、浦富、出雲浦等の海岸からも、あるひは石見《いはみ》の高角山《たかつのやま》からも日本海を望み見た。あの海岸に連なり續く高い岩壁は、大陸に面して立つ一大城廓に似てゐた。五ヶ月もの長さに亙るといふ冬季の日本海の活動から、その深い風雪と荒れ狂ふ怒濤とから、われわれの島國を守るやうな位置にあるのも、あの海岸の岩壁であつた。そこには到るところに湧き出づる温泉があり、金、銀、鐵、石炭、その他の鑛物を産する無盡藏の寶庫があつた。かのラフカヂオ・ハアンをして『これより麗しい洞窟は世界中殆んど想像し得ない』と言はしめたほど、空氣の如く明澄な海水を内に湛へ、また幾多の古い傳説が生れて來てゐる數限りもないやうな洞窟によつて飾られてゐるのもあの海岸であつた。この腰骨の強さこそ、大陸的なものをよく受けとめることの出來たわれらの祖先が姿であつたらう。しかし過去の日本人が日本海であると言つて見たいのは、たゞその海岸の特色のみには限らない。翠色の滴るやうな日本の島影を後方にする位置にまで出て行くなら、そこには濃い藍色の黒潮も流れて來てゐる。朝鮮、支那、印度はもとより、どうかするとペルシャから印度を通して來た希臘《ギリシヤ》的なものまでがこの島國に着いた時代もあつたらうかと想像されるのもその海だ。遠い古代の遣唐使船が航路とてもいづれはその海の上であり、雪舟のやうな畫僧が中世の終に生れて南方支那の宗教と藝術とを探り求めるために風波の困難を凌ぎ進んだのもまたその海の上であつたらう。おそらく揚子江の河口から押し來る滔々たる濁流を見た眼で、大陸を離るれば離れるほど青さを増す日本海の色を見たほどのものは、過去の日本人の特色がおよそどの邊にあつたかといふことを看て取ることも出來ようと思はれる。わたしは太平洋を日本海に置きかへて見るところに萬葉集をも感じるし、また近代の曙光を望み見るやうな雪舟の藝術をも感じる。
兎もあれ、われらの眼に映る大洋は、最早|涯《はて》も無く續いてゐる大海原ではなくて、彼岸へ渡ることの出來る大洋である。東は東、西は西で、永遠に逢ふこともなからうと言ふ人もあつた二つのものが、日本に於いて相會しようとしてゐるとも考へられる。
[#地から2字上げ]「桃の雫」――終
底本:「藤村全集第十三卷」筑摩書房
1967(昭和42)年3月10日初版発行
1978(昭和53)年8月30日愛蔵版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:Nana ohbe
校正:門田裕志、小林繁雄
2008年5月14日作成
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