l得して還つたといふ話をわたしの許に置いて行つた。弱い人間もそこまで行けば、果實ぐらゐの食に露命をつなぎとめて、人並以上の力を囘復することも出來るものか。病める身が追々と丈夫になり、高い木の枝ぐらゐには飛びつけるやうになり、しまひには重い岩石をも動かすほどの力の持主となり得たといふことだ。
世には天性肉體の力にすぐれたものもある。さういふ力の持主はどこの國でも人に騷がれると見える。佛蘭西あたりの少年の讀本の中にもすぐれた力持のことが面白く語つてあつたやうに覺えてゐる。どこそこの家には代々力持が出るといふやうな話のあるのを見ても、肉體の力は遺傳するものらしい。その力が婦人に傳はると、その人一代かぎりで絶えるとも聞く。川越の隱居が實母に當る人はわたしも逢つたことのないおばあさんであるが、めづらしい力を持つた娘のことがそのおばあさんの生前の咄しの中によく出たとか。飛んだ器量好しで、まことに愛くるしく見えるところから、どこかの商家にその娘が奉公してゐた頃、うるさくからかひに來る店の若者もすくなくなかつたといふ。ある日のこと、その娘は臺所を掃除しようとして、そこに有り合ふ大きな重い酒樽を片手に持ちあげ、いかにも無造作にその下を掃いてゐた。その力に恐れをなしてか、それぎり娘のところへからかひに來る若者もなくなつたともいふ。こんな愛くるしい娘の小さな肉體に宿つためづらしい力は、おそらく親讓りのものであつたらう。
すでに肉體の力が遺傳するものとすれば、精神力といふべきものも祖先から傳はりもしようし、子孫に遺りもしよう。それの絶えることもあらう。また、それの再び生きるといふこともあらう。
思はずわたしはこんなことを書きつけて見た。それにつけても、又聞きにしたある僧の話を思ひ出す。その人が十歳ばかりの少年の身をある寺の和尚の許に寄せてゐた頃、思ひがけない問を出されて面喰つたことがあつたといふ。和尚尋ねて曰く、『お前はどうしたら俺のやうな和尚になれると考へるか』と。そこで少年が答へた。『飯《まゝ》食つて寢て、飯食つて寢て、大きくなれば和尚さまのやうになれます』と。その答へをきくと、和尚はいきなり鞭を持つて來て少年の頭をなぐりつけたとの話である。この少年は十歳ばかりの年頃に一生忘れがたいやうな力餅を味はつたのであらう。そして、和尚から貰つた力でも、長い生涯の間にはそれを自分のも
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