vひを果すことが出來たと語つたとか。さう言へば、自分とてもやはりその一人だ。
二條城のあとを見た眼で、この彦根の城址を見ると、往時三十五萬石の雄藩として京都に對してゐた井伊氏の歴史上の位置を想ひやることが出來る。ともあれ、あの杜子美の詩にある『國破山河在、城春草木深』とは文字通りこゝに當てはまるやうなところだ。尾張、美濃のやうに今は工業の發達した地方に比べると、こゝは依然たる農業國であるが、これはこれでいゝ。こゝで味ふ彦根の米もうまい。のみならず、青年時代の旅の記憶につながれてゐるためかして、わたしは近江の自然に特別の親しみを覺える。この湖畔に旅の日を送つて、蛙の聲を聽くやうな機會がもう一度自分にあるかなぞと、そんなことがしきりに思はれた。
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十五日。
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歸京。
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十六日。
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幸ひと旅の間は一日も降られなかつた。けふは雨になつた。
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     力餅

 力餅といふものは大福に製して賣るところもあるが、多くは餡ころに造つて、旅する人の助けとする。先頃信州南佐久の臼田まで行かうと思ひ立つことがあつて、家族のものを引き連れ東京を出ようとしたが、折柄利根川増水の噂で信越線もにはかに不通の時であつた。餘儀なく中央線で下諏訪の方へ遠※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]りし、途中汽車の窓から音に聞えた甲州の荒川を眺め、連日降雨の後とて川添の稻田の中には濁流のために洗はれた跡などの眼にうつるのも心許なく思ひながら、同夜下諏訪の龜屋方に一泊、翌朝は自動車で和田峠を越えた。あの峠の上まで行くと、西餅屋といふが一軒殘つて、そこで力餅を賣つてゐた。かくいふ自分は少年期から青年期へ移りかける年頃に徒歩であの峠を越し、遠く山と山との間にひらけた空に淺間のけぶりのなびくのを望んだ記憶もある。多くの旅人が道中記をふところにして木曾街道を踏んだ昔は、いづれもあの峠の上の休茶屋に足を休めて行つた跡だ。

 おのれら一生の旅の間にはいくつかの峠も待つてゐる。空腹で險路の攀ぢがたいのは、滿腹でそれの出來ないのにひとしからう。いさゝかの力餅が、さういふ時のおのれらを力づけて呉れる。こんな力餅のことをこゝに持ち出して見るといふのも、他ではない。多くの立志傳中の人物が、發憤の逸話なぞを引き
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