モ舊いものと新しいものとがこゝには同棲してゐる。二百年も以前から代々この地にあつて湯宿を營むことを誇りとし今だに本家分家の區別をやかましく言ふやうな古めかしさは、おそらく近代的なケエブル・カアの設備やその大仕掛な電氣事業とよく調和しないやうなものであるが、それがこの温泉地にあつては左程の不調和でないのも不思議だ。まつたく、どこの温泉地にも見つけるやうな卑俗なものから、一切を洗ひきよめるやうな自然なものまでが一緒になつて、しかもその不調和を忘れさせるといふのも、温泉の徳であらう。
旅に來ては口に合ふ食物もすくない。わたしたちのやうに往復三日ぐらゐの豫定で來て、山の見える旅館の二階にでも寢轉んで行けばそれで滿足するほどのものは、知らない土地へ來て何もそんなに多くを求めるではない。でも、何程わたしたちはこの短い保養を樂しみにしてやつて來たか知れない。せめて自分等の口に合ふ山家料理になりと有りつくことが出來たらばと思ふ。いそがしく物を煮て出さなければ成らないかうした湯宿なぞで、種々な好みも違へば、年齡も違ふ男女の客を相手に、誰をも滿足させるやうな包丁の使ひ分けや、鹽加減といふものはあり得ないかも知れないのだ。しかし、山の蕨《わらび》が膳に上る季節でありながら、それを甘辛《あまから》に煮つけてしまつたでは、折角の新鮮な山の物の風味に乏しい。惜しいことだ。これはわたしたちばかりでもないと見えて、伊香保へ入湯に出掛けた親戚のものなぞは皆それを言ふ。ともあれ、これほど樂しみにしてやつて來て、快い温泉に身を浸すことが出來れば、それだけでもわたしたちには澤山だつた。わたしたちはまた、この温泉地に縁故の深い故徳富蘆花君の噂なぞを土地のものから聞くだけにも滿足して、歸りの土産には伊香保名物の粽《ちまき》、饅頭、それから東京の留守宅の方にわたしたちを待ち受けてゐて呉れる年寄のために木細工の刻煙草入なぞを求めた。
山を降りる時のわたしたちの自動車には、一人の宿の女中をも乘せた。その女中は齒の療治に行きたいが、澁川まで一緒に乘せて行つては呉れまいかと言ふ。これも東海道の旅にはない圖であつた。
京都日記
六月八日。
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川越の老母、昨日上京。わたしたちの京都行が川越へも知らせてあつたので、留守居かた/″\出て來て呉れた。家内の實母は根が東京の人であるところか
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