qもすくない時であつた。でも、あゝした湯治場のさびしくひつそりとした時に行き合はせたのもわるくない。この伊香保行にはわたしはかねて籾山梓月君から贈られた伊香保日記を旅の鞄の中に入れて行つた。それは同君が鎌倉での日記と一緒に合卷としてあるもので、かねて非賣品として知人の間に分けられたほどの心づくしの册子であるが、自分にも贈つて貰つた時から最早五年の月日がたち、長いこと讀み返して見る折もなく本箱の中にしまつて置いてあつたものだ。さすがに朝夕をおろそかにしない人の心を籠めて書いたものは、何年たつて開いて見ても好い。土を踏まないこと五十日、とその日記の最初に出てゐる病後らしい消息の記事が先づ身にしみた。家を出るにもそゞろに足が行きなやんで、たちまち眼もくるめくとある。
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年寄に留守をあづけて秋の旅
唐黍《たうきび》は採りてたうべよ留守のほど
朝顏の垣根に寄るや暇乞
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 これらはその日記の中に見える首途《かどで》の吟で、人をいたはり、又みづからをいたはる病後の思ひがにじむばかりに出てゐる。殊に、年寄に留守をあづけてと何氣なくうち出してある述懷には心をひかれた。さういふわたしは自分一人ぎりの旅でもない。川越から上京した老母に留守を頼み、妻同伴でこの保養に出掛けて來た。
 その日記の中に、『あんこ別れ』といふ伊香保言葉が出てゐる。この温泉地へ通ふ電車や自動車の便もまだなかつた昔は、毎年の夏、山駕籠をかつぐ男が湯の客の送り迎へに、麓の村々から集まつて來るものも多かつたとか。そろ/\山も寒く、湯の客も散ずる季節を迎へると、九月十五日といふ日の晩を期して、仲間のもの一同が互に慰勞の酒を酌みかはす。伊香保にとゞまつて山かせぎするものも、山を降りて思ひ/\の家路に就かうとするものも、こぞり、つどつて、その一夜を飮みあかすことを駕籠かきどもの『あんこ別れ』といふよしである。

 この『あんこ別れ』の一語には伊香保の昔が殘つてゐて、今でもそれを感じられるやうに思はれるが、しかしその言葉の意味は最早土地のものにもはつきりしない。伊香保日記の筆者もそのことを言つて、あんこはあの子であらうか、そんなら、あんこ別れはあの子別れである、馴染の女に別れるといふこゝろであらうと書いてある。このことは土地のものに尋ねて見てもはつきりしないと言つてゐた。わたしたちは
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