謔闡スくの表情と、感動と、性格とを見出す。六平太氏があの蝉丸の面をつけて、長いこと動かずにわたしたちの前に立つてゐた時は、無量の思ひの籠る彫刻を見る感じがした。すぐれた能役者のあらはして見せるものは、その姿勢の一つ/\が彫刻そのまゝであるかとも思ふ。

 蝉丸は王子である。何故にあの盲目な王子が父の帝によりて捨てられねばならなかつたか、その作者の意圖ははつきりとわたしたちの胸に來ない。わたしの想像によると、蝉丸は中世風な苦行者の首途《かどで》に置かれた王子であつて、父なる帝はその子に解脱への道を教へたものであらうと考へるが、これはわたしの想像であるに過ぎない。おそらく中世の昔の人達はあの作者の意圖を今日のわたしたちより遙かによく汲み取つたであらう。それにひきかへて、不幸な王子の姿はあり/\とわたしたちの眼に浮ぶ。作者の説き明さうとするものが時と共に失はれて來た後世になつても、その人の感じたものだけはこんなに長く殘つてゐることが思はれる。

 わたしはこの年になるまで、僅かに三度しか能樂堂に足を踏み入れたことがない。一度は寶生の舞臺に俊寛を見た時。一度は同じ舞臺に安宅を見た時。今一度がこの喜多氏方だ。戸川君がわたしのために六平太氏の蝉丸を選んで誘つて呉れたのはありがたかつた。わたしはまだ高砂を見たことがない。六平太氏のやうなすぐれた能役者によりて演ぜらるゝ高砂は、わたしの見たいと思ふものの一つだ。

 謠曲が純粹な佛教時代の文學であるといふことは、わたしには疑問である。本地垂跡の教と、その後に來る兩部神道との發達した中間の時代へ持つて行つて、謠曲の文學を考へて見たい氣がする。

 能について書かれたもののうち、戸川君がその隨筆集に載せた一文はよくわたしの胸に浮ぶ。あれは好い隨筆だつた。能の持つ特色についていろ/\なことをわたしに教へて呉れたのもあの隨筆だ。たしか魚の活き返るおもしろい物語、地獄に墮ちて苦しむ男の物語なぞがいかに能舞臺の上で表現されるかも、あの中に書かれてあつたと覺えてゐる。野口米次郎君も能について數篇の詩文を書かれたことを想ひ起す。舞臺の上に動く能役者の足どりとその白い足袋の感じが、水中に動く魚に譬へてあつたやうだが、あの美しい形容も忘れがたい。

 これを書いてゐると、わたしの側に人があつて、能を見るには相應な支度のいることをわたしに言つて見せた。し
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