フ早朝の散歩もどんなものか。
ずつと以前淺草新片町の方に住んだころ、わたしもよく夏の朝の散歩に出て隅田川の岸などを歩き※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つたものだが、あのころは午前の十一時ごろから仕事にとりかゝつて、おもに午後に働いた。家のものの寢しずまる深夜のころまで机にむかつてゐて、どうかすると一番鷄の聲を聞いたこともある。ところが、このごろはおもに午前中を仕事にあてたいと思ふものだから、朝早くそこいらを歩き※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]るとなると、いろ/\見つける物象も多いかはりに、どうも氣が散つて困る。やはり今のわたしには靜かにしてゐる方がいゝ。たまには家のものを連れ、月島の魚河岸の方まで出掛けて行つて、そこで探した鮮魚なぞを提げながら、朝飯前に歸つて來ることもあるが、そんなことはまづ例外だ。
朝食。毎朝簡單に茶粥で濟ませる。一ころはオート・ミイルを試みたこともあつたが、どうしたものか町で賣る品も粗惡なものばかりになつて、だん/\自分の口には適しなくなつた。茶粥二椀、牛乳一合、その用ゐ方は殆んどオート・ミイルの場合と同じだ。これがまたわたしの好物の一つだ。奈良の方の寺では茶粥に里芋をまぜるといふ話をある人から聞いて、それも試みたことがあるが、すこし味が重くなるかと思ふ。野菜のスープに燒昆布を入れて造ることはわたしの思ひ付きだが、そんなものでもあれば朝の食事は一層樂しい。
今のわたしに夏が好いといふことの一つは、日の長いといふことでもある。なるべくわたしは午前中に自分の仕事を濟ますやうにしてゐる。
小半日
[#天から10字下げ](戸川秋骨君に誘はれて喜多氏方例會の席に小半日を送る)
曾て山陰の旅に出掛けて、石見《いはみ》の國益田にある古い寺院の奧に、雪舟の遺した庭を訪ねたことがあつた。古大家の意匠を前にして、わたしはしばらく旅の時を送つて來た。近代の曙はまだそんなところに殘つて、私の眼前《めのまへ》に息づいてゐるやうであつた。しかもそこにある草木はみな新葉を着けてゐて、その古い庭の意匠と生々とした草木の新しさとの混じ合つたところから、わたしは言ふに言はれぬ深い感じに打たれたことを覺えてゐる。喜多氏方の例會に來て、その見物席に身を置いた時のわたしの感じがそれだ。その舞臺で演ぜらるゝことは近代の極早い頃から流れ傳はつた古
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