は檜職人の役で、勞役はせず、金錢にて納め來つたものであるとのこと。同地水役の家は檜物手形を一戸分一兩一ヶ年に納金する株で、配役の一人分は三朱づゝ。されば一兩の株の外に當役の時は四朱を負擔せしものであるともいふ。このことは同地にある九十一歳の老人によつて判明したと徳利屋主人の手紙の中に書いてあつた。
水役が傳馬役以外の雜役を意味することは、その後、福井縣下味見の高島正氏といふ人から貰つた便りで一層判明するやうになつた。同氏は自ら六十六翁と書いて、次のやうに説明してよこして呉れた。
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『水役は、老生の居村――農山村にては、人別帳後に一村を合計して、高持何軒、水役何軒と記しありて、高持に對する無高を意味し、誰々水役より高持になると記録に特記して身分の向上を慶びたり。現今の如き戸別割の賦課なく、藩主への税納を高に割賦せし時代の無高は村にても蔑視され、高持とは同座し得ず。最賤なる水酌役、即ち雜役に使はれ來りし語なるが如し。水役は一に雜家《ざふけ》――(雜役家の略か)と言ひ慣はし候。猶、序に申上げ候、慶長年代以來の所謂水帳とは※[#「てへん+僉」、第3水準1−84−94]地帳、則ち高附帳の意ならんと存じ候。老生藏する慶長※[#「てへん+僉」、第3水準1−84−94]地帳によるも、水帳とは建築の際に水平を※[#「てへん+僉」、第3水準1−84−94]して最初に張る繩を水繩と稱するより來りしものの如し。右は水役の水とは同語なれども、意は大に異なり申し候。』
未知の讀者の厚意からわたしの疑問が解けたのはありがたい。それにしても、こんな風に過去を探つて行くとなると、一つの言葉の意味を知るだけでも容易でない。眞に考證の正確を期することは、わたしたちの手の屆かないところにある。知らないことは知らないなりにとゞめて、わたしたちの領分は別にあると考へていゝかと思ふ。
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     晝寢

 苦さ、甘さ、寂しさ、侘しさ、あるひはまた樂しさ――晝寢の味もいろ/\である。花蓆《はなむしろ》の一枚に、汗をはじく枕でもあれば、それでことが足りて、涼しい風の吹き入るところに身を横にすることも出來る夏の晝寢も無雑作でいゝが、冬の日にはさうもいかない。われら年若いころには、日の長い暑中でもめつたに晝寢をするといふことはなかつたが、年をとるにつれて、その味を覺え、こ
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