人がおよそどんな風に地方の世話をしてゐたかは、追分宿の年寄役をつとめてゐた土屋氏の古帳なぞにその邊の消息が窺はれる。文政六年三月附で、地方諸書類の控として書かれたのは、左のごときものである。
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    覺
一 御水帳        四册
一 御割附       十三通
一 御年貢皆濟目録   十三通
一 御林御繪圖面      一
一 御年貢取立帳    十三册
一 宗門人別帳      三册
一 五人組帳       一册
一 村差出明細帳     一册
一 御用留控       一册
一 諸運上取立帳     五册
一 鐵砲水車運上取立帳  三册
一 御林下草永小前割賦帳 一册
一 口訴状寫       一通
一 博奕御觸流町内受書  五通
一 田畑裏印控      一册
一 小前より取置き候書付 二袋
一 御役所御※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]状留書   五册
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 右の外、文化九年度の分には、田畑取調帳、田畑反別帳、貯穀小前帳、御檢見内見帳、貧民一件、その他がある。何と言つても水帳はこれらの諸書類の筆頭にあるくらゐだが、徳川時代の末にはさういふ水帳といふものも宿役人の手には渡されず、田畑字附高名寄帳なるものをその代りに渡され、それを水帳と心得て收納の事を勤めたとのことである。筆のついでに、當時の宿役人が藩の諸奉行なぞを案内する折のことを言つて見るなら、普通の場合は羽織に無刀、扇子を差し、村の境目まで出て、そこに控へ、案内すべき人の駕籠の兩側へ二人づゝ附き添ふ心得で、いろ/\指圖を受けるやうにしては勤めたものらしい。

 こんなことをこゝに書きつけて見たところで多くの讀者には興味もないかも知れないが、『夜明け前』序の章の第一節にある『水役』といふ言葉一つの意味をさぐるだけにも、ずゐぶんわたしは無駄な骨を折つた。わたしの祖父や父があの街道筋に働いた頃の馬籠宿には、二十五軒の御傳馬役と、三十二軒の水役とのあつたことは確かで、そのことは馬籠の脇本陣であり代々年寄役でもあつた八幡屋の覺帳にも明記してある。ところが誰もあの水役の性質をはつきり知るものがない。徳川林政史研究室の所三男君は例の研究癖から、この水役を問題にして諸方へ問ひ質しなどされたことがあり、わたしはまた冬の季節に當つて木曾山から數多の材木を伐り出す尾
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