q供のそのまた子供から初めて『おぢいさん』と呼ばれた時の氣持は、果してどんな深刻なものだらうと考へて、まことの老年は孫の愛から始まるといふ風に想つて見たこともあつた。さういふ自分には最早孫が二人も出來た。しかしまだ/\私はほんたうの老年の世界を覗いて見るといふところへすらも達してゐないやうな氣がする。
 こゝに『高砂』の翁《おきな》と嫗《おうな》のやうな、古人の想像から生れて來た二つの像がある。共白髮の末の末までとは、下世話《げせわ》にもよく言ふことであるが、一切をさゝげて惜まないほどの人間の情熱にすら、それを根から覆さずには置かないやうな破壞と、矛盾と、悲哀と、不安との伴つて來ることを、誰か結婚の初めに豫期しよう。さてこそ、『高砂』の翁と嫗のやうな二つの像が古人の想像に上つたのも謂れのあることだ。男女の道も絶え果て、かりそめの契りも寢物語になつたかと思はるゝ年頃に達しながら、まだあの老夫婦は二人してこの世の旅を遠く續けてゐる。さう思ふと、あの老年は深い。

     婦人の笑顏

 古人の言葉に、
『おふくは、鼻の低いかはりに、瞼が高うて、好いをなごじやの、なんのかのとて、いつかいお世話でござんす。』
 これは、名高い昔の禪僧が殘した言葉で、おふくが文を持つ立姿の圖に、その畫賛として書かれたものであるといふ。假令《たとへ》鼻が低いと言はれようが、瞼が高いと調戲《からか》はれようが、女の身ながらに眼を見開くなら、この世に隱れてゐる寶と生命と幸福とが得られるといふこゝろもちを、いかにも輕く取り扱つてあるらしい。
 このおふくのことで想ひ起すのは、彼女の姉妹とも言ひたいおかめの俤《おもかげ》である。共に婦人の笑顏をあらはして、遠い昔からいろ/\な繪や、彫刻や、演劇舞踊の中にまで見えつ隱れつしてゐるのが、わたしの心をひく。中世以來、續きに續いた婦人の世界の暗さを思へば、『笑』を失つたものが多からうと思はれる中で、あれは光つた笑顏に相違ない。ところが、こゝに縁起をかつぐやうなことばかりを知つて、あのおかめの面の奧を覗いて見たこともないやうな人達がある。さういふ人達が寄つてたかつて、太神樂《だいかぐら》の道化役にも使ひ、酉《とり》の市《いち》の熊手のかざりにまで引張り出す。折角をかしみのある女の風情も、長い間に磨り減らされ、踏みにじられてしまつた。おかめの『笑』と言へば、今は
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