「り、印刷所や製本屋へも自分で通ひ、自分の作品を直接に市場に送り出さうとした。私はその資金を得るに苦しんで、北海道の方にある親戚を訪ふために日露戰爭當時の空氣の中を小諸から遠く旅したこともある。私の最初の長篇は前半は小諸で書いたが、それまでの教員生活から離れてあの作を完成し得るあてもなかつた。私は書きかけの長篇の草稿を抱いて山を降りる前に、親しい友人の助力を期待して小諸から志賀の山村まで深い雪の道を踏んで行つたこともある。私の「緑蔭叢書」が世に出るやうになつたのも、あの友人の勵ましに負ふところが多かつた。
 ――自費出版で思ひ出す。「緑蔭叢書」は數寄屋橋の方にあつた秀英舍の工場で印刷した。一體、私は木曾のやうな田舍に生れて、少年時代に自分の着る物でも食べるものでも多くは家で手造りにしたやうなものであつたから、そんな幼少の頃からのならはしが自然と私の内に浸み込んで居て、自分で自分の本を出すといふ場合にも物を手造りにするやうな悦びを覺えた。それに私は書齋の中に引込んでばかり居るよりも、時には工場を訪ひ製本屋を訪ひして、いろ/\な職業の違つた人達の間に交ることをも樂しみに思つた。あの叢書の最初の製本が出來た日、私は本を積んだ荷車の後について、數寄屋橋から神田の裏神保町まで歩いたことがあつた。丁度雨降り揚句の蒸し/\と暑い日であつた。高い足駄ばきであの神田河岸の乾いた道を踏んで行つた時のことは忘れられない。』
 これは『著作と出版』と云ふ題下に最初讀賣新聞へ寄せた感想の一節で、その後、自分の感想集『市井にありて』の中にも入れてあるから、讀者諸君の中には既にそれを讀んだ人もあらうかと思ふ。
 今になつて、私は、この『緑蔭叢書』の自費出版が自分等の道を切り開くことに於て深い關係のあつたのに思ひ當る。私は、どうしたら、從來、著作者と出版業者との間に蟠《わだかま》る情實などに拘泥せず、もとつ廣々とした自由な天地へ踏み出して行かれるかと考へ、一方には江戸時代から引き續いて來た作者氣質を脱して、もつと著作者の位置を高めなければならぬと考へて、その結果、この自費出版の方法を思ひ付いたのであつた。
 このことは明治年代の文學を振り返つて見る人たちにとつて、あまり、顧みられてゐなかつた。さう云ふ人たちは、私が最初の長篇小説の試みであつた『破戒』が、新しい文學の進出に一轉期を劃したものと云ふ風
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