私の家では到來物の酒の粕を壺に入れ、堅く目張りをして貯へてゐるが、あれで新しい茄子を漬けることも、ことしの夏の樂しみの一つだ。
この短夜の頃が私の心をひくのは、一つは黄昏時《たそがれどき》の長いにもよる。あの一年のうちの半分が晝で、半分はまた夜であるやうな北の國の果を想像しないまでも、黄昏と夜明けのかなり接近して、午後の七時半過ぎにならなければ暗くならない夜が、朝の三時半過ぎか四時近くには明け放れて行くと考へることは樂しい。まだ私達が眠りから醒めないで、半分夢を見てゐる間に、そこいらはもう明るくなつてゐると考へることも樂しい。
[#天から3字下げ]夏の夜は篠《しの》の小竹《をだけ》のふししげみそよやほどなく明くるなりけり
短夜の頃の深さ、空しさは、こゝに盡すべくもない。そこにはまた私の好きな淡い夏の月も待つてゐる。夏の月の好いことは、それがあまりに輝き過ぎないことだ。
露に濡れた芭蕉の葉からすゞしい朝の雫の滴り落ちるやうな時もやつて來た。あの雫も、この頃の季節の感じを特別なものにする。あれを見ると、まことに眼の覺めるやうな心地がする。長い梅雨の續いた時分には、私はよく庭の芭蕉の見えるところへ行つて、あの※[#「嫩」の「攵」に代えて「欠」、第4水準2−5−78]《わか》い夢でも湛へたやうな、灰色がゝつた青い卷葉が開いて行くさまなぞをじつと眺めながら、多くの時を送つたこともあつた。
底本:「日本の名随筆18 夏」作品社
1984(昭和59)年4月25日第1刷発行
1986(昭和61)年5月30日第4刷発行
底本の親本:「藤村全集 第一三巻」筑摩書房
1967(昭和42)年9月
入力:土屋隆
校正:川山隆
2007年6月23日作成
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