ェら欠《あく》びをする静物のように、一ぱいに塵埃《ほこり》の溜った書棚《しょだな》の中に並んでいた。その時岸本はある舞台の上で見た近代劇の年老いた主人公をふと胸に浮べた。その主人公の許《ところ》へ洋琴《ピアノ》を弾《ひ》いて聞かせるだけの役目で雇われて通って来る若い娘を胸に浮べた。生気のあふれた娘の指先から流れて来るメロディを聞こうが為めには、劇の主人公は毎月金を払ったのだ。そして老年の悲哀と寂寞《せきばく》とを慰めようとしたのだ。岸本は劇の主人公に自分を比べて見た。時には静かな三味線《しゃみせん》の音でも聞くだけのことを心やりとして酒のある水辺《みずべ》の座敷へ呼んで見る若草のような人達や、それから若い時代の娘の心で自分の家に来ているというだけでも慰めになる節子をあの劇中の娘に比べて見た。三年の独身は、漸《ようや》く四十の声を聞いたばかりで早老人の心を味わせた。それを考えた時は、岸本は忌々《いまいま》しく思った。
十
屋外《そと》の方で聞える子供の泣き声は岸本の沈思を破った。妻を失った後の岸本は、雛鳥《ひなどり》のために餌《えさ》を探す雄鶏《おんどり》であるばか
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