R僕の生涯の絃《げん》の上には倦怠《けんたい》と懶惰が灰色の手を置いているのである。考えて見れば、これが生の充実という現代の金口《きんく》に何等《なんら》の信仰をも持たぬ人間の必定《ひつじょう》堕《お》ちて行く羽目《はめ》であろう。それならそれを悔むかというに、僕にはそれすら出来ない。何故かというに僕の肉体には本能的な生の衝動が極《きわ》めて微弱になって了《しま》ったからである。永遠に堕ちて行くのは無為の陥穽《かんせい》である。然しながら無為の陥穽にはまった人間にもなお一つ残されたる信仰がある。二千年も三千年も言い古した、哲理の発端で総合である無常――僕は僕の生気の失せた肉体を通して、この無常の鐘の音を今更ながらしみじみと聴き惚《ほ》るることがある。これが僕のこのごろの生活の根調である……」
郊外の中野の方に住む友人の手紙が岸本の前に披《ひろ》げてあった。
これは数月前に岸本の貰《もら》った手紙だ。それを彼は取出して来て、読返して見た。若かった頃は彼も友人に宛《あ》てて随分長い手紙を書き、また友人の方からも貰いもしたものであったが、次第に書きかわす文通もほんの用事だけの短いものと成
前へ
次へ
全753ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング