にして両側に果樹の多く植てある畠の中を歩いて見た。そこは牧野とも一緒によく休みに来て、生《な》っている桃を枝から直《す》ぐにもぎ取っては味ったり、土の香気《におい》を嗅《か》ぎながら歩き廻ったりするところであった。最早《もう》十月下旬の季節が来ていた。枝にある仏蘭西の青梨は薄紅《うすあか》く色づいたのが沢山生り下っていたばかりでは無く、どうかすると熟した果実《くだもの》は秋風に揺れて、まるで石でも落ちるように彼の足許《あしもと》へ落ちるのもあった。
 その畠は一方は町はずれの細い抜道に接し、他の一方は田舎風の赤い瓦屋根《かわらやね》の見える隣家の裏庭に続いていた。岸本は木の靴なぞを穿《は》いて通る人の足音を一方の抜道の方に聞き、野菜畠の中から伝わって来る耕作の鍬《くわ》の音を一方の裏庭の方に聞きながら、桃や梨の樹の間を歩いて新しい果実の香気《におい》を嗅ぎ廻った。あだかも成熟した樹木の生命《いのち》を胸一ぱいに自分の身に受納《うけい》れようとするかのように。
 オート・ヴィエンヌの秋は何となく柔かな新しい心を岸本に起させた。彼は長い年月の間ほとほと失いかけていた生活の興味をすら回復した。仮令《たとえ》罪過は依然として彼の内部《なか》に生きているようなものであっても、彼はいくらか柔かな心でもって、それに対《むか》うことが出来るように成った。

        九十九

 四十日も要《かか》って来る郵便物がボツボツ届くように成ってから、岸本は戦時以来全く絶え果てた故国の消息をリモオジュの田舎に居て知る事が出来た。欧洲の戦乱はどんなに東京の方の留守宅の人達を驚かしたであろう。節子からもそれを心配した手紙をくれた。岸本は彼女や子供に宛てて記念の絵葉書を送る気に成った。仮令《たとえ》僅《わず》かの言葉でもこうして姪の許《もと》へ書くというのは、旅に来てからの岸本には珍らしいことであった。彼は姪へ送るためにサン・テチエンヌ寺の遠景に見える絵葉書を選び、泉太へ送るために羊の群の見える牧場のついた絵葉書を選んだ。前のはヴィエンヌ河の手前から取った風景で、樹木から道路から橋までが彼には既に親しみのあるものであり、遠く古い石塔の聳《そび》え立つ寺院《おてら》は弥撒《メス》などのある度《たび》によく彼の行って腰掛ける場処であった。後のは森を背景にした牧場のさまで、遠く森の間に一軒の田舎家も見えた。浅い谷間の草を食いに来る羊の群、その柔和な長い耳、細い足――そうしためずらしい仏蘭西の田舎の光景《ありさま》は国の方に留守居する子供等の眼を悦《よろこ》ばすであろうと思われた。すこし行けばツウルウズ街道(仏蘭西国道)に出られる彼の宿の周囲には、その絵葉書に見るような牧場が行先に展《ひら》けていた。
 書いた葉書を投函《とうかん》するために岸本は宿を出た。日本人をめずらしがって煩《うるさ》く彼に附纏《つきまと》うた界隈《かいわい》の子供等も、二月ばかり経《た》つうちに彼を友達扱いにするものも多かった。ある町はずれまで行くと、そこには繩飛《なわと》びの仲間入を勧める小娘が集っていた。ポン・ナフという石橋の畔《たもと》まで歩いて行って見ると、そこには彼の側へ来て握手を求める男の児が居た。
「ムッシュウ」
 と呼んでよくその児は走り寄って来た。その児は彼が外出する度に立寄っては腰掛ける橋畔の小さな珈琲店《コーヒーてん》の一人|子息《むすこ》であった。
 ヴィエンヌ河はその石橋の下を流れていた。休息の時を送ろうとして岸本は水辺《みずべ》まで下りて行った。岸に並んで洗濯する婦女《おんな》の風俗などを見ても、田舎にある都会の町はずれとは思われないほど鄙《ひな》びたところであった。石の上で打つ砧《きぬた》の音も静かな水に響けて来た。しばらく岸本は戦争を外《よそ》に砧の音を聞いていた。その時、つと見知らぬ少年が彼の側へ来て声を掛けた。
「異人さん、すこし日本の方のことを聞かせて下さい」
 見ると小学校の上の組の生徒か、あるいはこの町にある簡易な商業学校の下の組の生徒かと思われるほどの年頃の少年だ。
「仏蘭西と日本と何方《どっち》が奇麗でしょう。日本の方が仏蘭西よりはもっと奇麗でしょうか」
 この少年の問は岸本を困らせた。
「そんなことが君、比べられるもんですか」と岸本が言った。「君の国だって奇麗なところも有り、そうで無いところも有るでしょう――僕等の国もその通りでさ」
「日本の海はどんな色でしょう」と復《ま》た少年が訊《き》いた。「黄色でしょうか」
「どうして君、青い色でさ――透明な青い色でさ――それは美しい海ですよ」
 怜悧《りこう》そうな少年の瞳《ひとみ》に見入りながら岸本がそう答えると、少年はまだ見たことのない東洋の果を想像するかのように、
「透明な青い色か」と繰返し
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