(From Love he won such dule and teen ! )
And where, I pray you, is the Queen
Who willed that Buridan should steer
Sewed in a sack's mouth down the Seine ?
But where are the snows of yester−year ?"
(The Ballad[#「Ballad」は底本では「Ballard」] of Dead Ladies.――〔Translation from Franc,ois Villon by Rossetti.〕)
[#ここで字下げ終わり]
東京|下谷《したや》の池《いけ》の端《はた》の下宿で、岸本が友達と一緒にこの詩を愛誦《あいしょう》したのは二十年の昔だ。市川、菅、福富、足立、友達は皆若かった。あの敏感な市川が我と我身の青春に堪《た》えないかのように、「されど去歳《こぞ》の雪やいづこに」と吟誦《ぎんしょう》して聞かせた時の声はまだ岸本の耳の底にあった。
夜に入って、柔い雨が客舎の窓の外にあるプラタアヌの若葉へ来た。その雨の音のする静かさの中で、岸本はもう一度この事蹟を想像して見て、独り居る無聊《ぶりょう》を慰めようとした。
七十六
そんなに叔父さんは国の方の言葉を聞きたくているのか、叔父さんの旅の便《たよ》りを新聞で読んでこの手紙を送る気に成ったと節子は岸本のところへ書いてよこした。煩《うるさ》く便りをするようであるが、国の方の言葉を聞くと思って読んでくれと書いてよこした。節子の手紙には泉太や繁の成人して行く様子を精《くわ》しく知らせてよこしたが、何時《いつ》でも単純な報告では満足しないようなところがあった。叔父さんに心配を掛けた自分の身《からだ》も、今では漸《ようや》く回復して、何事《なんに》も知らない人が一寸《ちょっと》見たぐらいでは分らないまでに成ったから安心してくれと書いてよこした。勿論《もちろん》見る人が見れば直《す》ぐ分ることであるとも書いてよこした。彼女はまた、水虫のようなものを両手に煩《わずら》ってとかく台所の手伝いも出来かねていると書いてよこした。相変らず髪の毛が抜けて心細いというようなことまで書いてよこした。こうした節子の手紙を読む度《たび》に岸本は嘆息してしまって、所詮《しょせん》国へは帰れないという心を深くした。
旅の空にあって岸本が送ったり迎えたりする同胞も少くはなかった。好い季節につれて、旅から旅へ動こうとする人達の消息を聞くことも多くなった。以太利《イタリー》の旅行を終えて岸本の宿へ土産話《みやげばなし》を置いて行った人には京都大学の考古学専攻の学士がある。これから以太利へ向おうとして心仕度《こころじたく》をしているという便りを独逸《ドイツ》からくれた人には美術史専攻の慶応の留学生がある。セエヌの河岸《かし》にある部屋を去って近く帰朝の途に上ろうとする美術学校の助教授もあり、西伯利亜《シベリア》廻りで新たに巴里《パリ》に着いた二人の画家もあった。
「岸本君が巴里に来られたことを僕はモスコウの方で知りました」
こう言って旧《ふる》い馴染《なじみ》の顔を岸本の下宿へ見せた一人の客もあった。この客は一二カ月を巴里に送ろうとして来た人であった。
岡が画室の方から来て部屋に落合ってからは、気の置けないもの同志の旅の話が始まった。何時|逢《あ》って見ても若々しいこの客のような人を異郷の客舎で迎えるということすら、岸本にはめずらしかった。よく身についた紺色の背広の軽々とした旅らしい服装も一層この人を若くして見せた。
「岸本君は巴里へ来て遊びもしないという評判じゃ有りませんか。そんなにしていて君は寂しか有りませんか」
と客が言って笑った。
「これで岸本さんも万更遊ぶことが嫌《きら》いな方じゃないんだね」と岡は客の話を引取って、「人の行くところへは何処《どこ》へでも行くし、皆で集って話そうじゃないかなんて場合に、徹夜の発起人は何時でも岸本さんだ。『色地蔵』だなんて岸本さんには綽名《あだな》までついてるから可笑《おか》しい。恋の取持なぞは、これで悦《よろこ》んでする方なんだね。そのくせ自分では眺《なが》めてさえいれば可《い》い人だ」
「だけれど、君、旅に来たからと言って、何もそんなに特別な心持に成らなくても可いじゃないか。国に居る時と同じ心持では暮せないものかねえ」と岸本が言出した。
七十七
一切のものの競い合う青春が過ぎ去るように、さすがに若々しく見える客も時の力を拒みかねるという風で、さまざまな旅の話に耽《ふけ》ったが、岡と一緒にその人が出て行った後まで種々な心持を
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