「た。岸本にはそれが無かった。中野の友人には朝に晩にかしずく好い細君があった。岸本にはそれも無かった。彼の妻は七人目の女の児を産むと同時に産後の激しい出血で亡《な》くなった。
山を下りて都会に暮すように成ってから岸本には七年の月日が経《た》った。その間、不思議なくらい親しいものの死が続いた。彼の長女の死。次女の死。三女の死。妻の死。つづいて愛する甥《おい》の死。彼のたましいは揺《ゆすぶ》られ通しに揺られた。ずっと以前に岸本もまだ若く友人も皆な若かった頃に、彼には青木という友人があったが、青木は中野の友人なぞを知らないで早く亡くなった。あの青木の亡くなった年から数えると、岸本は十七年も余計に生き延びた。そして彼の近い周囲にあったもので、滅びるものは滅びて行ってしまい、次第に独《ひと》りぼっちの身と成って行った。
三
まだ新しい記憶として岸本の胸に上って来る一つの光景があった。続きに続いた親しいものの死から散々に脅《おびやか》された彼は復《ま》たしてもその光景によって否応《いやおう》なしに見せつけられたと思うものがあった。それは会葬者の一人として麹町《こうじまち》の見附内《みつけうち》にある教会堂に行われた弔いの儀式に列《つらな》った時のことだ。黒い布をかけ、二つの花輪を飾った寝棺が説教台の下に置いてあった。その中には岸本の旧い学友で、耶蘇《やそ》信徒で、二十一年ばかりも前に一緒に同じ学校を卒業した男の遺骸《いがい》が納めてあった。肺病で亡くなった学友を弔うための儀式は生前その人が来てよく腰掛けた教会堂の内で至極質素に行われた。やがて寝棺は中央の腰掛椅子の間を通り、壁に添うて教会堂の出入口の方へ運ばれて来た。亡くなった人のためには極く若い学生時代に教を説いて聞かせるからその日の弔いの説教までして面倒を見た牧師をはじめ、親戚《しんせき》友人などがその寝棺の前後左右を持ち支《ささ》えながら。
岸本は灰色な壁のところに立って、その光景を眺《なが》めていた。その日は岸本の外に、足立《あだち》、菅《すげ》の二人も弔いにやって来ていた。三人とも亡くなった人の同窓の友だ。
「吾儕《われわれ》の仲間はこれだけかい」
と菅は言って、同じ卒業生仲間を探《さが》すような眼付をした。
「誰かまだ見えそうなものだ」
と足立も言った。
会葬のために集まった人達は思い
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