B敵が攻めて来る」と父はよく言ったとか。その恐ろしい幻覚から、終《しまい》には父は岸本家の先祖が建立《こんりゅう》したという村の寺院《おてら》の障子へ火を放とうとした。それが父の牢獄にも等しい部屋の方へ趨《おもむ》く最初の時であった。日頃柔順な子として聞えた民助兄も余儀なく父の前に立って、御辞儀一つして、それから村の人達と一緒に父を後手に縛りあげた。父のために造った座敷牢は裏の木小屋にあった。そこは老祖母さんの隠居部屋と土蔵の間を掘井戸について石段を下りて行ったところにあった。前には古い池があり、一方は米倉に続き、後には岸本の家に附いた竹藪《たけやぶ》が茂っていた。そこで父は最後の暗い日を送った。母は別室に居て父の看護を怠らなかったばかりでなく、日頃父のことを「お師匠様」と呼ぶ村の人達まで昼夜交代で詰めていたということである。
嫂の話は父が座敷牢で暮した頃の細目《さいもく》を伝えたが、鈴木の姉はまた父の感情を伝えた。姉は最早家出をした夫と別れ住む頃であった。郷里から一寸《ちょっと》出て来て、東京浅草の方にあった岸本の家の二階でその話を弟にした。どうかすると父は座敷牢でも物を書きたいと言って、硯《すずり》や筆を取寄せ、「熊」という字を大きく一ぱいに紙に書いて人に見せたことも有った。そして自ら嘲《あざけ》るように笑って、終《しまい》にはもう腹を抱《かか》えて転《ころ》げるほど笑ったかと思うと、悲しげな涙がその後からさめざめと流れた。「きり/″\す啼《な》くや霜夜のさむしろに衣かたしき独《ひと》りかも寝む」――父はこの古歌を幾度《いくたび》となく口吟《くちずさ》んで見て、自分で自分の声に聞入るようにして、暗い座敷牢の格子《こうし》につかまりながら慟哭《どうこく》したという。「慨世憂国の士をもって発狂の人となす、豈《あ》に悲しからずや」とは父がその木小屋に遺《のこ》した絶筆であったという。父は最後に脚気《かっけ》衝心でこの世を去った。
百十八
それから鈴木の姉の上京後、まだ園子の達者でいた時分、岸本は父の墓を建てるために一度帰省したこともある。その時は郷里の鈴木の家に姉を見に立寄り、あれから木曾川に添うて十里ばかり歩いた。郷里とは言っても、岸本があの谿谷《たに》の間の道を歩いて見たことは数えるほどしか無かった。通る度毎《たびごと》に旧《ふる》い駅路の
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