ナまだ見ることも出来た。夜遅くまで物書く父の側に坐らせられ、部屋一ぱいにひろげた白紙の前で、眠い眼をこすりこすり持たせられたあの蝋燭《ろうそく》の火を記憶でまだ見ることも出来た。
 父は厳格で、子供の時の岸本が父の膝《ひざ》に乗せられたという覚えも無いくらいの人であった。父は家族のものに対して絶対の主権者であり、岸本等に対しては又、熱心な教育者であった。岸本は学校の書籍《ほん》を習うよりも前に、父が自身で書いた三字文を習い、村の学校へ通うように成ってからは大学や論語の素読を父から受けた。彼はあの後藤点《ごとうてん》の栗色の表紙の本を抱いて、おずおずと父の前へ出たものであった。何かというと父が話し聞かせることは人倫五常《じんりんごじょう》の道で、彼は子供心にも父を敬《うやま》い、畏《おそ》れた。殊《こと》に父が持病の癇《かん》でも起る時には非常に恐ろしい人であった。岸本は末子《すえっこ》のことでもあり年齢《とし》もまだちいさかったから、それほどの目にも逢《あ》わなかったが、どうかすると民助兄なぞは弓の折《おれ》で打たれた。有体《ありてい》に言えば、少年の岸本に取っては、父というものはただただ恐いもの、頑固《がんこ》なもの、窮屈で堪《たま》らないものとしか思われなかった。

        百十五

 少年の時の記憶はまた東京銀座の裏通りの方へ岸本を連れて行って見せた。土蔵造りの家がある。玄関がある。往来に面して鉄の格子《こうし》の嵌《はま》った窓がある。日の光は小障子を通して窓の下の机や本箱の置いてあるところへ射し入っている。そこが岸本の上京後、小父夫婦やお婆さんの監督の下に少年の身を寄せていた田辺の家だ。
 父から餞別《せんべつ》に貰った五六枚ほどの短冊《たんざく》、上京後の座右の銘にするようにと言って父があの几帳面《きちょうめん》な書体で書いてくれた文字、それを岸本はまだありありと眼に浮べることが出来た。少年の彼は窓の下の本箱の抽斗《ひきだし》の中にその座右の銘を入れて置いて、時には幾枚かある短冊を取出して見た。「行いは必ず篤敬……」などとしてある父の手蹟《しゅせき》を見る度に、郷里の方に居る厳《きび》しい父の教訓を聞く気がしたものであった。覚束《おぼつか》ないながらも岸本が郷里へ文通するように成ってから、父はよく彼の許《もと》へ手紙をくれた。彼の上京後も父は断え
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