鐘の音は樹木の多い町はずれの空を通して、静な煙の立登る赤瓦の屋根の間へも伝わり、黄葉の萎《しお》れ落ちた畠《はたけ》へも伝わって来た。バビロン新道の宿でもその日は鉢植《はちうえ》の菊などを用意し、主婦《かみさん》や少年のエドワアルが墓参りのために近くにある村の方へ出掛けようとしていた。
 岸本がビヨンクウルの老婦人の亡《な》くなったことを聞いたのは、この死者の祭に先だつ数日前であった。今はヴェルサイユの兵営に自転車隊附として働いているあの書記の留守宅から出た通知状は巴里の下宿の方を廻って岸本の手許《てもと》に届いた。それにはあの老婦人の遺骸《いがい》が巴里のペエル・ラセエズの墓地に葬られるということが認《したた》めてあり、子息《むすこ》さんの書記を始め親戚一同の名前がその下の方に精《くわ》しい親戚関係と共に列《なら》べ記してあった。例《たと》えば、亡き人の姪のだれそれ、亡き人の義理ある兄弟のなにがしという風に。あの老婦人が大きな戦争の空気の中で病み倒れて行ったということは一層その死を痛ましくした。リモオジュの客舎で聞く寺院の鐘が特別の響を岸本の耳に伝えたのもそのためであった。
 岸本は仏蘭西へ来て最初に自分を迎えてくれたのがあの老婦人であったことを思出した。異郷にある旅人として、自分のことを一番多く考えていてくれたのもあの老婦人であったことを思出した。王朝時代の昔を忘れかねていたようなあの仏蘭西の婦人が心の中心を失った結果として東洋諸国に対する夢のような憧憬《どうけい》を抱いたのか、どうか、その辺までは彼にも言うことが出来なかったが、とにかく趣味性の発達した、生れついて女らしい徳のある、惜しい人であったことを思出した。全く仏蘭西の言葉も知らずに旅に上って来た彼が異邦人としての沈黙から紛れる方法もなかったような折にも、「あなたは急いで仏蘭西語を学ぶが可《い》い、もしあなたが僅かの書籍《ほん》でも読み得るように成ればそれほどの無聊《ぶりょう》を感じないで済むであろう、自分が書き送るこの数行の言葉でもあなたを慰めることが出来れば仕合せである」などという手紙を寄せて励ましてくれたのもあの書記のお母さんであったことを思い出した。「この悲しい戦争が一日も早く終りを告げることを心から願っている」という意味の言葉で結んだセエブル出の手紙があの老婦人から貰った最後の消息であったことを
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